自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

モラハラ家庭の闇

2021-12-07 13:13:00 | 家族
モラハラに関してはおいおい、まとめておこうと思うのだけど、、、、

家庭内という枠の中で生活していた私は、いや、母も弟もそうなのだろうけど

この家がちょっと変だなとは思っても、ここまでやばいおかしな家庭だとは思わなかった。思えなかったし思いたくなかった。

父は立派な会社に勤めていたし、まともじゃない人が出世できるわけないと思っていたし。

でも、そんなことないの。
頭のおかしな人も出世できるな。むしろ、そのくらいじゃないと無理なのかも。

中高の同級生とは結構込み入った話もする仲だったけど、家での出来事を話すと

こういっちゃなんだけど、うちってあなたのところ(私の家)に比べたらましだなって思っちゃう、、、、

と、お母さんが酔って暴れて留置所にいれられるような家の子が言っていた。

その時って、まだ少し家のこと言われてむっとしたりしてたんだ。わたし。

でも、友達はよく見ていたし、私のことを思って助言してくれてたのね。
「あなたのところのお母さんってちょっと過激だし、弟はタチが悪すぎるから早く家をでたほうがいいよ」って。

その時ですら、お父さんはまともなのにねの一言がついていた。

なんていうか、、、、
人の家庭のことってあんまりそこまで言えないって思っていたから、ずばずば関与してくるその子のことのほうが苦手になっちゃって、だんだん疎遠になっちゃったんだよね。

わたしのこと第一に考えて助言してくれてたのに。


高校生から大学生くらいになる頃から、やっと親の監視なしでお友達のところに遊びに行ったりするようになって、他の家庭をみる機会が増えたのだけど

あれ?
あれれ?
どの家庭も(もちろん、どこの家にもなにかしらはあるはずだけど)家族仲良くて、お友達が遊びにくると歓迎してくれて、兄弟も一緒に仲が良い、、、、、

あれれ?
うちと全然違う。

そんなことに気づきはじめたのが10代後半。
わたしは愚かで間抜けだなと思う。
もっと向き合って、もっと早く気づけたのに。もっと早く自分の価値観大切にできたのに。

キリがないので、、、

2021-11-29 09:54:00 | 家族
これまでの人生を通して、当たり前にモラハラが行われてきた我が家。

まだまだ書きたいことはあるけど、そろそろ、具体的なモラハラからの脱出に関して書いていきたいので、また気が向いたらキテレツ家族のエピソードも書いていきたいと思います。


母は自分の両親や家族を馬鹿にされ、田舎を馬鹿にされ、毎日のご飯にケチをつけられ、行動を事細かにチェックされ

やがて車も奪われ行動を制限され、明らかならモラハラに対抗もせず、ストレスにさらされ、、、、、

そして、モラハラから逃げることなく、病気になり、あっけなく亡くなった。

母が亡くなるまでは、モラハラの方向は主に母に向いていたからわたしは気づかなかった。

本当の敵は父であったことに、、、、

家族関係ここまでのまとめ

2021-11-25 19:01:00 | 家族
ここらへんで、家族について、一度まとめておこうと思う。

あくまでわたし視点です。

父親→母親
モラハラによる完全支配
母に人権はなし。でも、この時点ではわたしは母が悪いと思っていた。ちょっと変わったお父さんなんだから、キレさせないように気をつければいいのにといつも母を怒っていた。
「あの人が何を嫌がるかなんてわかっているのだから、少しきをつけてればいいだけじゃん!」と。
まさか、父親が猛毒だったなんてね、、、、

母親→父親
モラハラにより完全なる支配下にあり、自分がない。
私を攻撃する時だけ父親を、巧みに味方につける

母親→弟
溺愛。ここまで溺愛ってちょっと気持ち悪い

母親→わたし
憎悪の対象。産まなきゃよかった、大嫌いだと本気で思っていたっぽい(苦笑)
そんな母親いないって、わたしですら幻想を抱いていたけど、いるんですよ。いるの。これはね、わたしが意固地になってるとかじゃなくて、本当にいるんですよ。

父親→わたし
この頃は、時々理不尽なことが起きるけど、基本的に交流がなく、そんなに表立って問題はなかった。ただの娘(本当は違ったのだけど)

弟→母親
ATM
絶対服従の母親は、弟にとっては便利なATMだったと思う。まあ、わたしも父親がATMだったけど。

もう、へんちくりんすぎて書くの嫌になるわ。笑



 素敵な家庭の子に見られたかった

2021-11-22 17:49:00 | 家族
わたしも、もちろん、良い子だったわけではない。

家で泣き叫び、部屋中のものをばら撒いて怒りを訴えたりしていた時期もあった。(もちろん、自分の部屋)

耐えるに耐えられなくなって、そう言った行動にでてしまっていたのだが、けんかをふっかけ、わたしに言い返され、それに応じていくうちに、頭をつかっていないあちらは、早い段階で武器(言葉)がなくなってしまう。

そうすると、「このきちがいが!」「ああ、怖い。どっかおかしいからこんなことするんだ」と、大袈裟にこわがってみたり、大人のすることか?と思うのだが、押し入れに入ってでてこなくなったり(ウォークマンを聴いていた)逃げる。

そして後日、この押し入れに逃げ込んだことだけがフューチャーされて、親戚一同に報告される。

わたしが、いかに恐ろしい娘かを。自分はなんてかわいそうな被害者かを。

救いだったのは随分大人になってから、、親戚の一部の人たちが、そのことをわかっていたと言ってくれたことだ。

うそついて、私を加害者にしたてあげていることにきづいていたよと。

でも、ほとんどの親戚は母親の味方で、わたしはとんでもない娘というレッテルを貼られていた。

いまでこそ、そんなアホな親戚どうでもいい。もう、一生会うことはないだろう。

でも、当時のわたしは、みんなから好かれていなければいけないと、本気で思っていた。

両親に度々植え付けられる罪悪感。それは嘘によってうえつけられたものだったとしても、わたしは、この罪悪感を、どつしたらなくせるんだろう?わたしはなんでこんなに悪い子なんだろう?
いや?悪いのって本当にわたしか?ととてもとても悩んだ。

そして、いつのまにか世間的に素敵な家庭で育ったお嬢さんでありたいという無謀な幻想にくるしめられていくのだ。

誰にも親の正体など話さず、親がどんなに素敵かを語り、仲良し家族のふりをするようになっていた。

私の性格上、それは嘘であってはならないと思っていたので、嘘はつかなかった。
本当にあった素敵な出来事を大袈裟にとりあげて話しながら、本当に素敵な家族をつくりたいと奔走した、、、、、

素敵なお家から嫁がないと、わたしは幸せになれないと思った。

もともと、、結婚するには最低でも1000万貯金がないと無理と親にうえつけられていたので、自分は結婚できないと思って恐怖だった。

確かに、結婚式、新居、新しい生活、どれにもお金がかかる。なぜか、その全てを自分が一人ではらっていかなくてはならないような負担を感じていた。

親に援助してもらったり、二人でなんとかやりくりすればいいだけのことだなんて頭は若い頃は全くなかった。

とにかく、親が納得する人じゃないと連れて行けないし、その人にこんな家庭であることがバレてはいけないと心から思っていた。

だから、お付き合いをする人には家族仲が良いように振る舞っていた。

この価値観も私独自のものではないのだと気付けるまでにとてもじかんがかかった。




家に居たくない

2021-11-11 12:34:00 | 家族
とにかく、家族が揃うと高確率も高確率で何かしらのいざこざが起きるので、私は家に帰るのがいつも憂鬱だった。

とっとと家を出ればよかったかもしれないが、小さい頃から

「お前はだめだ」と言われ続け、自分でも自分はダメな奴なんだと思っていたので、家を出たら生きていけないと思っていた。

大人になってからは、家を出る前に関係を修復したいと願っていたつもりでいたけど、結局のところ、甘えがあったのだと思う。

きちんとしたカタチで家を出たい(祝福される結婚など)
とねがっているつもりだったが、単に共依存に陥っていたのだと思う。