天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

Nadja-chat noir 冒頭3

2011年10月10日 02時47分30秒 | 小説

Qui suis-je ? 5

 

その日、ぼくは 16区の市電をのりつぎ、サンジェルマン・デ・プレの伯父の家を訪ねる途中、母親とはぐれてしまった。伯父の家にいくには、一度メトロの5番にのらぬとならない。ひとりでメトロにのったことのないじぶんだったから、おおいに困った。このまま家にひきかえそうとしたときだった。例の黒猫のやつが、これみよがしにメトロへの地下階段を降りていくのか見えた。あいつめ、こんな街中まできていたのか、と思うと、もう追いかけずにはいられなかった。切符のことなんかかまわず、メトロのホームへ追いかけて行った。黒猫がホームの端にすわりこんでいるのが見えた。そのとき、暗いトンネルから轟音をあげてメトロの車両がすべりこんできた。その日、見たメトロの車両ときたら、きみは信じないかもしれないけれど、ぶこつな四角い箱なんかじゃなかったのだよ。  

それは、ほんとうに魚の形をした地下鉄の車両だった。たったの一輌。これがトラムなんかであったら、それこそパリ祭かカーニバルの余興の花電車の試運転であったろう。ところが、その魚の形をした地下鉄は、暗いトンネルからぬうっとホームにすべりこんできたのだ。まばらにホームにたっていた人々は、行先の方面がちがうのか、さして関心もしめさず、新聞を読んだり、あらぬ方角をほうっとみつめていたり、あるいは会話に夢中になっていて、この驚くべきメトロの出現を気にもとめていないようだった。ドアがシューっと音をたてて開いた。開くと同時に、魚河岸にでもいるような魚くさい空気がホームに流れ出てきた。黒猫のやつは、しごくあたりまえだとでもいうように、メトロにとびのっていく。あっと思って、ぼくもとびのろうとしたが、鼻先でドアがしまってしまった。メトロのドアはもう金輪際開くことはないというみたいに、無慈悲な音をたててしまったのだ。ぼくは、またしても黒猫をのがしてしまうのか。魚は、いやメトロは、鱗をひからせながら発車していき、たちまちトンネルに姿を消した。ありがたいことに、それから数秒後、こんどはいつものメトロの車両がホームにはいってきた。ぼくは、先頭車両にまで走り、運転士の真後ろに陣取って、前方の軌道に眼をこらした。魚型メトロはなんだかノロノロ、ヌラヌラ走っていくようだったから、ひょっとして追いつけるかもしれないと思ったのだ。

 案の定、一マイルほど走った頃に、前方の軌道に巨大な魚がすべっていくのが見え始めた。トンネルがカーブしているところでは一瞬見えなくなるが、魚との距離は確実に縮まっていた。このままでは追突するかもしれないほどに。地下鉄軌道を逃げていく魚だ。運転士はもう気付いているはずなのに、なにごともないように車輌を走らせていく。ぼくのすぐ後ろに立っている大人たちが、昼食に食べたヒラメのムニエルの批評を熱心にしているのが耳にはいった。「魚ってやつは、料理人次第ですな・・・」と、いう言葉が聞こえた。

 ぼくはライトに照らし出される前方の軌道に眼をこらしつづけた。「いた !」と、ぼくは心のなかでさけんだ。ところが、もう手のとどきそうなところまで、ぼくの乗るメトロが追いついたとき、逃げていく魚は、トンネルの薄闇のなかで文字どおり溶けていってしまった。あとかたもなく、鱗ひとつのこさず、乗っていた黒猫もろとも溶けていってしまったのだ。

 

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