天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

 見るためにうまれ

2011年09月23日 00時25分09秒 | 文芸

いま、ちょうど、H.C.アンデルセンの『塔の番人オ―レ』を訳しているところだ。まえから予感があったが、アンデルセンのこの作品は、ゲーテの『ファウスト』第2部の「リュンコイスの歌」からヒントを得たような気がする。

 『ファウスト』第二部から

Tiefe Nacht          深夜 

LYNKEUS DER TÜRMER: 塔の番人リュンコイス


Zum Sehen geboren,
      見るために生まれ
Zum Schauen bestellt,
     見はるを勤めとし
Dem Turme geschworen,
  塔の番人のちかいをたてたれば、
Gefällt mir die Welt.        
世界はまことにおもしろい
Ich blick' in die Ferne,
    遠くをながめ
Ich seh' in der Näh'
      近くをみつめ
Den Mond und die Sterne,
  月と星辰を
Den Wald und das Reh.
   森とノロジカを見る

Sc seh 'ich in allen             しからば万物のうちに
Die ewige Zier,
         永遠のかざりが見える
Und wie mir's gefallen,
    すべて我が意をえるごとく
Gefall' ich auch mir.
      我もおのれにみたされる
Ihr glücklichen Augen,
    幸せな両の眼よ
Was je ihr gesehn,
       汝が見しものは
Es sei wie es wolle,
      それが、どうであれ
Es war doch so schön!
    まことに美しきものだった!

  この塔の番人の心意気と、アンデルセンの塔の番人オ―レの語る自然の驚異の共感はよくにているのだ。こういう本歌取りみたいなのをみつけるのが楽しい。忙中閑あり。


     塔の番人のオ―レ (ただし冒頭部)

 

「人生あがったり、さがったり、さがったとおもえば、またあがる! おれなんか、もうこれ以上高くはあがれないぜ!」

 と、塔の番人のオ―レはいったものだ。「あがったり、さがったり、さがったとおもえば、またあがる。たいていの人間は経験せにゃならんのさ。ようするに、おれたちゃ、けっきょく、みんな塔の番人になって、人生や物事を上からとっくりみることになるんだ!」

 そんなふうに、オ―レは塔の上で言うのだった。オ―レはぼくの友だちだった。年よりの番人で、ちょっとおどけたな、話ずきの男だった。なんでもかんでも、よくしゃべるようにみえるが、根はまじめで、腹の底には大事なものをしっかりもっている。

 そう、この男は、もともといいとこの生まれだった。商工会議所役員のせがれらしいとか、そんなふうにいう人もいる。大学を出て、代用教員や教会の事務職をとりしきる役僧の助手などになったらしいが、それがなんの役にたったことか!

 オ―レは役僧の家に住みこんで、きままにふるまっていたらしい。まだ若くて、なかなのいい男だったそうだ。自分のブーツをツヤがよくでる靴ズミで磨きたかったが、役僧ときたら、ただのグリースしかくれなかった。そんなことで喧嘩になった。いっぽうは、ドケチと悪態をつき、他方はミエッパリとののしった。靴ヅミが、いがみあいの、黒い、つまり不幸な原因となって、ふたりはソデをわかったのだ。

 ところが、オ―レときたら、役僧に要求したことを、世間にものぞんだのだ。つまり、彼はツヤのでる上等な靴ヅミをもとめたのに、いつも与えられるのはただのグリースだったのだ。そんなものだから、世の中に背をむけ、世捨て人になってしまった。大都会で、世捨て人がパンをみつけられるのは、教会の塔の上くらいだった。それで、オ―レは塔に登って、人の来ない鐘楼でパイプをふかしていた。そして、上を見上げたり、下を見下ろしたりしながら、考えにふけっては、見たこと、見なかったこと、本で知ったこと、自分が心のなかでさとったことなどを、彼の流儀で話してくれた。

 ぼくは、よく読み物として、よい本をオ―レに貸してやった。どんな本をよく読むかで、その人がわかるものだ。イギリスの家庭教師小説は好みじゃなかった。また、すきま風とバラの茎からかもしだされたフランスの小説も嫌いだと、オ―レはいった。そう、オ―レは伝記や自然の驚異について書いてある本を読みたがった。

 ぼくは、すくなくとも1年に1度はオ―レを訪ねることにしていた。たいていは、年が変わって新年になったすぐあとでだ。年の変わり目に考えたことに関しての、あれやこれやの話をいくつも持っていた。

 二度訪ねたときのことを話すことにしたい。できるだけ、オ―レ自身の言葉を伝えようと思う。

 

           はじめての訪問

  ほくがオ―レに最後に貸した本のなかに、こまかい岩石、つまり砂利に関する本があった。その本が、とりわけ彼を喜ばせ、夢中にさせたようだった。

「いや、その砂利ってやつは、まさしく愉快な老人てとこだな!」と、オ―レはいった。「みんなは、そんなこと気づかないでとおりすぎちまうけどね! 砂利のころがっている野原や浜辺へいったけど、おれもまったくおんなじだったよ。いかい、みんなは、なんの気なしに敷石の上を歩きまわってるがね、あいつは、ずっと古い時代の遺物なんだよ! おれもそんなふうに歩いていたけど、いまでは、どの敷石にだって敬意をはらうね。この本には大いに感謝したいな。もうこれに夢中だね。古くさいかんがえやしきたりをとっぱらって、こういう本をもっと読みたいものだ。地球のものがたりは、さりゃあなんといつてもどんな小説より、いちばん不思議にみちてるからね!

 いちばん最初のところが読めないのは残念だ。おれたちが習わなかった言葉で書かれてるからね。つまり、地層を、こまかな岩石を、地球の年代記をそっくり読まなくてはいけない。第6部になって、初めて役をになう人間が登場するんだ。アダム氏とイブ夫人だ。読者のなかには、おでましがいくらかおそいんじゃないかという人も多いだろうね。だれもが、すぐに、それを読みだかる。おいらは、いっこうかまわないがね。

 ほんとに、この本は冒険にみちた小説だよ。ぼくたち全部が、そのなかにふくまれるといっていい。人間たは、ひとっところにじっとしているが、この地球は回転してるんだ。それでも、大洋がおれたちの上にあふれ、かぶさってくることはない。おれたちが歩いているのは地球のカラのような表面だ。そのカラがくずれたり、おれたちがそこに落っこちたりはしない。こんなふうに、歴史というものが数百万年もつづいて、たえず先に進んでいる。この砂利についての本に大感謝だね!こいつらが、もし口がきけたら、なにか語ってくれるだろうにな!

 おれみたいに、こんなに高いところにいて、ときおり無になってみるのも愉快じゃないだろうか。心をむなしくしてみると、おれたちゃ、たとえ靴ズミを持っていようと、アリ塚にはっているはかない命のアリでしかないとわかってくるよ。勲章をぶらさげているアリ、歩いたりすわったりするアリにすぎない。数百万年もたったこの石ころにくらべたら、おれたちゃ、まだとてつもなく幼いのさ。大晦日の晩に、おれはこの本をじっくり読んでいたものだから、≪アマゲル島へ飛んでいく魔王の行進≫を観察するの大晦日のいつもの楽しみを忘れちまったほどた! いや、あんたはそんなもん知らないだろうがね! 

 魔女がほうきにまたがって飛んでいく行進は、だれでも知っている。聖ヨハネ祭の晩、ドイツのブロッケン山へ行くのだ。わが国にも魔王の行進というものがある。それは、我が国ならてはの、現代的なものなのだ。大晦日の夜に、彼ら魔物が空を飛んでアマゲル島へ集まっていく。ヘボ詩人、女流詩人、演奏家に新聞記者、能なしのくせに世間では名のとおっている芸術家。そんなやからが、大晦日の夜に空を飛んでアマルゲ島にいくのだ。それそれが、絵筆やらガチョウの羽ペンにまだかっている。はがねのペンでは硬すぎて、そいつらを運べやしないのだ。まえにもいったが、大晦日の晩には、つつもそれがおがめるんだ。ほとんどのやつらの名前をいえるはずだ。だが、あいつらと、イザコザをおこしてもつまらない。やつらは、ガチョウの羽ペンにまたがって、アマゲル島にハイキングするのを人に知られたくはないのさ。おれには、漁師の女房になってる姪っ子がいてね。彼女のいうには、3つの評判のよろしい新聞にスキャンダルを投稿してやったというんだな。

姪っこ自身が、正体をうけて、連れられていったわけさ。ペンなんか持ってなかったから、自分でまたがっていけなかったんだ。姪っこがいうにはね。あいつの言ったことの半分はうそだった。だか、あとの半分だけでも十分だ。

 さて、むこうに着くと、彼らは魔王たちは歌うことから始める。それぞれが、自分の歌を作って、みんな、その歌をうたうわけだ。ま。それがいちばんだからな。だけど、みんなひとつ調子になっちまって、おんなじメロディなんだそうだ。それから、口先だけはたっしゃな連中が小さな徒党を組んで行進とあいなる。そいつらは、かわるがわるにチリンチリンと鳴るグロッケンシュピールみたいなもんだ。そのあとで、家の中で太鼓をたたくちびっこの太鼓たたきが出てくる寸法だ。-----そこで、姪っこは、名前をかくして書きまくる人たちと知り合いなったというわけさ。つまり、ここでは、ただのグリースがきちんとした靴ヅミを名のってるてことだ。そこには、下男をつれた死刑執行人てやつもいた、その下男のほうが頭のきれる男だった。でなかったら、ご主人様のことなんかだれも気にもとめなかったろう。さらには、人のいいゴミ取り人もいた。彼はゴミバケツをひっくりかえしては、『いいぞ、すごくいいぞ、最高だ!』と、ほめまくったものだ。

 この楽し騒ぎのまっ最中に、たぶんそうにちがいなかっろうがね、ゴミ捨て場から草の茎が一本あたまをもたげた。一本の木とも、巨大な花とも、大きな木のコともいうべきものが、いまや屋根のようにおおいかぶさった。それは、この尊敬すべき集会の≪なまけもの柱≫というやつだ。その柱には、お歴々が旧年中に世の中に送りだしたものが、みんなぶらさがっていた。それぞれから、火花みたいなものがほとばしっていた。そいつは、彼らがかりてきたり、利用したりした思想やらアイデアやらで、いまや、それがはがれて、大きな花火よろしくとびちったのだ。そこでは、≪お宝どこだ?≫という遊びをやらかしてんだな。小さな詩人たちは、≪心に火がつく≫という遊びに夢中だった。冗談ずきなやつが、ダジャレをとばす。その数やはんぱではなかった。ジョークがあっちでもこっちでもとどろいた。カラっぽの壺か、石炭ガラをつめこんだ壺をドアにたきつけでもしてるみたいにね。とっても、おもしろかったわ!と、姪っこは言っていた。ほんとうは、姪からもっとたくさん聞いたんだ。ひどく意地悪なことだったが、ゆかいなことばかりだった!だが、これ以上は話すまい。人は善良であるべきで、あらさがし屋になってはいけないからね!

 おれみたいに、あそこでの祭りをよく知っていたら、年越しの夜には魔王の行進を見たくなるのはわかるよな。ある年、姿が見えない連中がいるかと思うと、新しいやつが加わっていたりするんだ。だけど、今年は祭りの客たちを見逃してしまった。石コロの上をころがって、何百万年もころがって、ばらけた石たちが北国でガラガラ音をたててくずれ落ちるのを見た。それから、ノアの方舟がつくられるよりずっとまえに、石たちが氷のかたまりの上をすべっていき、海の底へ沈みこみ、ふたたび浅瀬へ出てくるのを見たんだ。浅瀬の石たちは、水から顔をだすと、『ここをシェラン島にしよう!』と、言っていた。

 その浅瀬が、みたこともないような種類の鳥たちの住処になり、おなじくおれたちが知らないような族長の住処になるのを見た。その後ずっとあとで、そんな石のいくつかに、オノでルーネ文字が刻まれるようになり、年代記にいられるようになった。だけど、おれは、そんなものからすっかりぬけだして、まったくのむになってしまった。そしたら、すばらしい流れ星が3つ4つ、輝きながら落ちていった。それで、おれの考えは、またべつの方向にむいたわけだ。              -------流れ星がどういうものかは、あんたは知ってるだろう。教養がおありの連中だって、たいていは知っちゃいないんだぜ!-------

  おれには、流れ星についちゃ、自分の考えがあるんだ。だから、これから話してやるよ。人はだれしも、なにかすばらしいことや、よいことをすれば、感謝と祝福があたえられるものなんだ。そういう感謝というものは、しばしば、言葉にはあらわれないが、まったくないがしろにはされないものだ!思うんだがね、大洋の光にとらえられ、ひそかに感じた、無言の感謝を、よき行いをした人の頭の上に運ぶのだな! 感謝を長い年月のあいだに送るべきなのがひとつの民族全体のときなどは、ちょうど感謝の花束のように、流れ星のように、その人のお墓に落ちてくる。だから、流れ星をひとつみつけると-------とくにお大晦日の夜なんかにね------この感謝の花束がだれにふさわしいのか考えてみると、楽しくてしかたない。

 こないだなんか、キラキラ光った流れ星が、南西の方角に落ちていった。あれは、それはたくさんの人びとの感謝のしるしだ! だれへの感謝だったろうな? フレンスブルクの峡湾の崖に落ちたにちがいないぞ、と考えた。あそこには、シュレッペグレルやレッセーの勇士たちとその戦友の墓地があって、その上にはデンマークの国旗が風にたなびいてるんだ。ひとつの流れ星は、国のまんなかに落ちた。ソレの町に、ホルベアの棺の上に、花束が落ちたのだ。たくさんの人たちからの今年の感謝のしるしだ。すばらしい喜劇への感謝のあらわれさ!

 流れ星がおれたちの墓の上に落ちるのを知ることは、偉大な考えだし、よろこばしき考えだと思わないか。おれの墓なんぞには落ちっこないな。太陽の光の一筋さえ、おれに感謝を運んではくれない。おれには感謝されることなど、なにひとつないからね。おれには、よくツヤのでる上等な靴ヅミは手に入らないんだ」と、オ―レはため息をついた。「この世で、おれがもらえるものは、ただの靴ヅミなんだ」

 

・・・・・このあとで、2回目の訪問の話につづくわけだが、あとは、「アンデルセン全集」第2巻で読んでくださいね。来年春の刊行予定てす。(^^;

 



幼年詩集から 

2011年09月16日 14時56分06秒 | 文芸

 

ねむのき ねむのき 風に ゆられ

ゆうべ見た夢 林のおくの

おおきな おおきな 胡桃の木

  

ねむのき ねむのき 風に ゆられ

夢のつづきを みているのかな

 

  『幼年詩集・八国山公園』


友だちのいる風景。あるいは風景の中のともだちの記憶。

2011年09月12日 19時38分54秒 | 文芸

  小学生の頃の友だちとは、今では音信不通で、だれひとりその消息を知らない。自分の育った町を出てしまったとはいえ、私鉄で30分も揺られれば、たちまち帰っていけるし、実際両親が住んでいるので、ちょくちょく訪ねていく。たまに町なかに出ることもあって、ひとりやふたりとは顔をあわせそうなものなのに、もう20年近く、旧い友だちと逢ったことがない。おたがい大人になってすっかり変貌してしまったせいかもしれない。どこかで、知らずにすれちがっているのかもしれない。それにしても、彼らが面影さえ残さずに大人になって故郷の町で暮らしているということがあるだろうか。なんだか、子供時代の友だちが、そっくりどこかへさらわれていってしまったような気もする。

  会うすべがないわけでもないだろうが、会って昔のことを語りあうとなると、こちらからはなにを話すべきか困ることになる。そうだ、あの頃にしても、私のまわりにいた子どもたちは、私にとっては風景の一部であって、熱心になにごとか話し合う親友ではなかった気がする。むこうから遊びに来てくれる同い年の少年は、数えるほどしかいおらず、その友だちも、私がなにを考えているかわからないふうな顔をして、次第に疎遠になっていった。

 あるとき、私のほうから熱心に遊びにゆくようになったユキちゃんという男の子がいた。たずねていくと、いつも二人で将棋をしてすごした。ユキちゃんの姉さんが、いつもミルクコーヒーを運んできてくれた。ユキちゃんは、将棋が好きでたまらないらしく、ときどき遊びにくる従兄弟たちとの勝負を細かく話してくれた。おとなしいユキちゃんが、そのときばかりは雄弁になるのである。

  中学校もユキちゃんと同じ学区だった。入学式のあとで、おたがいぎこちない学生服すがたで顔を合わせたが、ユキちゃんはなんだか、はにかんだような、まぶしそうな眼で、ちょっと笑っただけだった。「将棋」のことをのぞいては、私たちのあいだに話をすることがらがみつからないのに気づいたのもその頃のことだ。

 ユキちゃんの姿は、それからすうっと遠のいて、たくさんの学友たちのなかにまぎれこんでしまった。私はもうユキちゃんの姉さんがいれてくれたミルクコーヒーを飲むこともなくなった。

                               『友だちのいる風景』未発表ノート


猫迷宮 上巻末尾

2011年09月11日 23時24分21秒 | 文芸

さあて、庚申研修会かあ・・・たしか神奈川の住所だったよなあ」

 と、つぶやく。神奈川の電話帳はなかったので、ちょうど蒲田に集金にでかける用事があるから、そのとき電話ボックスで調べてみようかと思う。ともかく、十万円の経費ぶんの仕事はしたかった。まず、なんとしても赤塚さんに会ってからだ。、旦那への報告は本人の意向を聞いてからでないと、恨まれるかもしれない。赤塚さんと秘密を共有しているのは確かなのだから。たいした秘密でもない気がしたけれど。それでも、一晩泊めてもらったアブナイ一夜があったわけだし、半分はこちらも共犯との意識もないではなかった。

 社主の大曲泰造も消息がわからない。ミドリちゃんもいつ帰ってくるかわからない。赤塚さんの失踪の理由もまだはっきりしない。『猫文書』の著者、稲葉峯生氏も音信がプツリと途絶えている。自分の周囲から、次々に人が消えていく。他人というものは、こうもたやすく目の前から消えていくものなのだろうか。それとも、消えた人はそれぞれが、探してほしいというサインを残しているのだろうか。

 自分はグズグズと紅花舎の社屋にくすぶっていて、熱心な捜索をはじめようとはしない。それぞれの足どりを追いかけているうちに、とてつもない迷路にふみこみそうな嫌な予感がする。こんなことが、ずっと以前にもあったような気がしてならないのだ。やはり夏の夜であったような気がする。しかし、記憶をたどろうとすると、ふいになにかの幕がおりるように、記憶がぼやけてくるのだった。

「明日、蒲田の奥をさがしてみよう」

 と、つぶやいていた。よりによって、いちばんなじみの薄い人物の消息からはじめようというのだ。稲葉峯生氏はどこへ消えたのか。消極的な選択にはちがいないが、最後にきた手紙のことが妙に気になっていたのだ。霊媒師。自分のまえに口をひろげている迷宮にふみこむまえに、なにかしらアリアドネの糸のようなものをつかんで出かけたかったのかもわからない。糸口の連想からそんなことを考えてみただけだったが、果たしてどのような霊媒師が待っているのか、いないのか。すくなくとも、あやしげな宗教団体にふみこむよりはましなような気がした。

 それに、シラネアキラの依頼もある。神官のなりをした少年。しつこく父親をさがせと懇請してくる子ども。彼はいったい何者なのだろう。

 

 出口のみつからない迷路だとて、ふみこまねばならないときもある。あえて戻ってこようとも思わなければ、おそれることもない。

 独りでいるうちに、いよいよおかしな覚悟のようなものがわいてきた。母親が死に、世間にたった一人で投げだされたときから、だいたいそんなふうにして世の中を渡ってきたようなものだ。いずれ、仮の住処も追い出されるようにして出なくてはならないはずだ。あらたに部屋を借りるほどの蓄えもない。

 この夏、一匹の野良猫のようにあの町この町をあるきまわるというのも、なにか自分にふさわしいことなのかもしれない。

「かまやしないさ。いけるところまではいくだけだ」

 声にはださなかったが、ことあるごとに心の中でつぶやいてきたいつもの言葉が、出発の合図だったような気がする。

 それでも、それからふみこんだ迷路というのが、まるでおもいがけない方角に自分をひきずりこむものだったとは、このときは、まだ予感すらできなかった。いや、正しくいうなら、引きもどされ、そのあとで、またぞろズブズブと引きずりこまれたとでもいうべきだろうか。

 いずれにせよ、長くて暑い夏になったのだ。。

 

                       『猫迷宮』上巻了


裏庭の記憶

2011年09月11日 23時16分43秒 | 文芸

小学生の頃、陽のあたる校庭よりも、びえてとして、苔の匂いのする裏庭のほうが気になってしかたがなかった。子どもたちが去った放課後、なにかの用事でひとり居残って、がらんとした渡り廊下を歩いていると、うっすらとした沈丁花の花の匂いがした。わたしは、その花がどこにあるのか知っていた。校舎の裏の金網沿いに一株だけ、とのり残されたように植わっている。その丈の低い木の根元に、ある日死んだ雀の子がころがっていた。薄い羽毛もまだ生えそろっておらず、白濁した眼も、この世でなにかを見たというには、あまりに貧弱だった。おそらく、うすぼんやりとした光と、母鳥の黒い翳りのほかは、なにもうつらなかったろう。子どもの時代の私が、はたしてこのような感慨にとらわれたかどうかは、うたがわしかったが、病弱でよく学校を休んでいた私は、ひょっとしたら、その死んだ幼鳥は、自分の未来であるかもしれなとでも思ったのだろう。おそろしい、というよりは、じっと凝視せずにはおれなかった。ただ、見つづけていたのである。 

  しばらくして裏庭の死骸はすっかりかたづけられていた。あるいは猫かなにかがくわえていったのかもしれない。私は友達のだれかに、その死んだ雀の子のことを話したかった。けれども、休み時間の明るい笑い声のなかに、その話題を持ち込むことはどうしてもできなかった。雀にいだいた気持ちを説明することも憚られた。友達はなんでそんな裏庭にいったのかといぶかるかもしれない。  そのときから、今日にいたるまで、私が裏庭で眼にしたいくつもの死骸について、誰かに話したことはない。そして、小学校で机をならべていた子どもたちも、いまではどこに行ってしまったのか、誰もいなくなってしまっている。渡り廊下を歩いて教室にもどった私が、それからどうしたかは、覚えていない。 

                         未発表ノート                                   

 


夏の記憶

2011年09月11日 23時15分49秒 | 文芸

 夏休みに学校のプールに行くと、カードにひとつずつハンコを捺してもらうことになっていた。ある年の二学期に、判子の数があまりにすくないと、体操の教師に叱られたことがある。日頃、病弱な私はからだを鍛えなくてはいけないといわれていた。真っ黒に焼けるほど泳ぎに来なくてはない、とその教師はいったものだ。

  私は、もともと水泳が好きではなかった。なにが面白いのだろうと思ったこともある。それに、夏休みには、家の近所にある大きな病院や、県の産業試験場の構内に、虫取りにいく愉しみがあった。

  日盛りの午後、ふたつ年下の弟を連れて、夏木立のあいだを息をひそめて歩き回る愉しさにくらべたら、十五分おきにプールサイドにあげられたり、飛びこまされたりする水遊びの単調さばかりが嫌悪の種になった。そして、かならずとおらされる消毒剤の冷たい浴槽と、冷たいシャワー。思えば、運動にかんしては、甚だ子どもらしくなかった。  木漏れ日のなかで、蝉たちに樹液をあびせられたり、蟻の行列をじっと眺めていたほうが、ずっと性にあっていて、捕らえた虫たちと図鑑をひきくらべてみるようなことに、無上の喜びを感じていたのである。

  わたしを叱った教師に、そんなことを説明する気にはなれなかった。ましてや、こっそり忍び込んだ病院の裏窓に見えた入院患者の異様にかぼそくて、白い脚のことや、それが私くらいの少年だったことなど、話せばやぶ蛇になりそうだった。

  ただ、たいていは夏の終わりの頃であったが、夕方、プールから帰るさの、まだ日中の火照りの残る大気のなかを、サンダルで歩いていくときの気分は嫌いではなかった。校庭の青桐の大きな葉をゆすっている夕方の風が、日焼けした肌に心地よく、まだいくばくか残ってる夏休みの日数を勘定したり、母が冷やしていてくれているはずの三矢サイダーのことも思いうかべたりもした。 

 あの頃は、そんな夏が永遠につづくような気がしたものだけれど、それからもう三十年が過ぎてみると、夏はもう息子たちのものになっていて、あの頃の友だちもゆくえがしれない。                  

                     夏『水の感傷について』未発表ノート