天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

猫迷宮 83

2011年03月29日 17時29分36秒 | 文芸

 老女は、交番で出されたお茶をまえにし、これもだしてもらった茶菓子のようなものをモグモグと食べていた。

 さきにいった年長の巡査は、せかせるようすもなく、ゆっくりと住所などを聞きとろうとしていた。

「あ、御足労をおかけします」

 こちらにもパイプ椅子をすすめて、

「簡単でいいんですが、どちらでお会いになったのですか」

 と、第一発見者にむかって質問をはじめた。自分のことだ。

「神田明神の裏手ですよ。男坂を登ってきたようです」

 中村巡査が地図帳をひろげている。

「で、お婆ちゃん、御自宅はどちらですか? 何町かな?」

「姉の家ですか?」

「いえ、お婆ちゃんの住んでるとこ」

 しばらく沈黙が続いた。

「谷中墓地のすぐそば」

 と、それだけはっきりと答えた。

「谷中あ?」年長の巡査はため息をつくように復唱した。

「はい」

 ずいぶん遠くまで歩いてきたものだ。

「おい、電話帳!」

 と、中村巡査に命じた。

「それから、本署に捜索願が出てないか照会してくれ」

「名前は?」

「ナミエ・フサさんだ」

 受け取った電話帳で台東区谷中のナミエ姓をさがしている。中村巡査は中央指令室を呼び出しているらしい。広域手配ということだ。

「あった!」

 年長の巡査が、老女の名前を発見した。一瞬あとで、中村巡査が捜索願いが出ていないことを報告した。

「ま、ここにかけてみよう。御家族がいるといいんだが」

 メガネをはずし、こまかい電話番号をメモしている。

「中村、電話」

 と、いって番号を大声で伝えている。

「はっ」と、応答して、ダイヤルをまわしている。中村巡査は神妙な顔をして応答を待っていた。

「出たか?」

「まだです。呼び出していますが」

 一分ほどコールしつづけて、中村巡査が首をふった。

「よし、いったん切れ! やっぱり独り暮らしかもしれないな」

 本人があの調子ではどこに連絡してよいやら、大変だなと、思っていると。巡査長はまた電話帳を繰り始めた。巡査長というのは、中村巡査がそう呼びかけたからだ。年長の警官の肩に階級章がついている。

「ここらへんを、あたってみるかね」

 と、巡査長はつぶやいた。どうやら、ナミエ・フサの住所の近辺の家の電話番号をひろいだしていたようだ。なるほど、親戚縁者が無理なら近所にあたってみることだ。

巡査長は壁の掛け時計に眼をやった。

「まだ、そんなに遅くはないな」

 自らダイヤルをまわしている。

「あ、夜分に恐縮です。文京区管内の警察の者ですが、つかぬことをおたずねいたしますが、そちらの御近所に、ナミエ・フサさんという御年配の方がお住まいではないでしょうか? そうです、お婆ちゃんです。お独り暮らしかと」

 電話の相手にすこし待たされているらしい。しばらく黙っている。相手が代わったようだ。巡査長は同じことをもう一度くりかえした。

「御茶ノ水付近で保護いたしました。道に迷ったようで」

 また、聞き入っている。

「はい、そうです。七十すぎている小柄なかたです。はい、ナミエと名乗ってらっしゃいます。はい、はい、そうですか、御近所ですね、はい」

 巡査長の手元のメモにどんどん情報が増えていく。独居。長男。週に一、二度。徘徊癖。近所でたびたび保護。

「それで、御子息の連絡先は? わからない? はい、それはこちらで調べます」

 巡査長は、丁寧に詫びをいって電話を切った。

「中村、記録!」

 巡査長は、電話で聞いたことを書きとらせていった。現住所は電話帳のとおり。独居、週に一二度息子が来ている。息子の連絡さき不明。徘徊癖あり。要保護・・・。

 そこまで書き取らせると、じっとすわっていたこちらに向き直った。

「聞いてのとおりです。お年寄りの足でずいぶん遠くまで歩いてきてしまったようですな。住所の近くの青果業の店にかけてみたんですよ。八百屋なら、毎日のように買い物にもいくでしょうからね」

 さすがに聞き込みは慣れたものだった。電話帳に本人の名前があったのが幸いしたのだ。

「御苦労さまです。御本人はこちらで自宅までお送りします。御自宅へ行けば御子息などの電話番号もわかるでしょう。聞いたところ民生委員も生活ぶりを見回ってくれているようですから、そちらにも連絡します」

 と、説明してくれた。

「じゃ、ぼくはもういいですか」

「念のため、発見者の御連絡先をお名前と一緒に書いていってください」

「自宅には電話がないので会社でいいですか」

「はい、けっこうです」

 中村巡査が紙バサミにはさんだ調書を差しだしてきた。

 紅花舎の住所と電話番号、自分の名前を書いてやる。御丁寧に母音を押せともいっている。遺失物をひきとるときに必要なのか? 迷子の老人の引き取りでがみつからなかったら、拾った者のものなのか? そんなことはありえないが、ふと、そんな馬鹿なことを考えながら拇印をついた。中村巡査がティッシュペーパーを差しだしてくれた。

「あ、すいません」

 と、口ではいってみたけれど、警察の調書に拇印を押すのはあまり気持ちのいいものではなかった。それに、今夜の徘徊はなんとか解決するようだったけれど、老女の行く末は暗澹たるもののような気がした。交番に来て以来、老女は一度もこちらに関心をしめさなかった。すでにして忘れてしまっているのかもしれない。巡査たちの言うことに、いちいち「はい、はい」とうなずくばかりだった。

 交番を辞去して、御茶ノ水橋を渡って順天堂病院の方角に歩きだした。病院のわきから都の水道局は眼と鼻の先だ。そこらから本郷二丁目の自分のテリトリーに戻れるわけだ。おもてに出たとたん、アスファルトからまだ昼の熱気の名残りがたちのぼっていて、疲れがますようだった。それでも、身元不明者の居所をさがす手順をすこし学んだような気がした。素人臭いにもほどがあるけれど。赤塚さんのことを思い出していたのだ。それに、謎の依頼人、白根晃の所在も気になった。

 夜間は閉じている水道局裏の公園の下の暗がりを歩きながら、そもそものはじまりがわからなくなっているの気がついた。すべて紅花舎に転がりこんでからのことのようだったが、それよりずっと以前になにか自分が関わった人や事件が尾をひいているような気もしてきたのだ。思い出そうとしても思い出せないなにかがある。井戸の底になにか光っているが、それがなにかわからないもどかしさだ。それが、金貨であるか、ただのコインであるのか、それとも自分の眼が映っているだけなのか。それに、自分がおきざりにしてきてしまった人間がいるような漠然とした記憶もある。さきほどの老女のように、忘れてしまったことさえ気がつかなければ、安穏でいられるのに。記憶の隅でときおり残像のように浮かび上がる景色や人の顔もある。夢の中で見た景色かもわからない。


猫迷宮  82

2011年03月29日 14時05分52秒 | 文芸

ほどなく外堀通りからパトカーが一台こちらにまがってきた。

「お婆ちゃん、いいですか、これから交番まで乗せていきますよ。お家がわかったらまた車で乗せていけますからね」

 年長の警官が、かんでふくめるように話してやっている。

「ありがとうございます」

 老女はすなおに礼をいって、年長の警官と後部座席に乗り込んだ。

「すみませんが、本官は先に行きますが、中村巡査といっしょに明大口までいらしてくださいますか」

 ウィンドをおろして、若いほうの警官をさしながらそう声をかけた。巡査のほうは軽く敬礼して、了解と言った。発車していく際に、奥のシートに座っている老女がさかんに頭をさげているのが見えた。また会うんだけれど、そのときにこちらを覚えているかどうか。

「さ、御足労ですが」

 と、中村巡査がこちらに声をかけた。

「ああいう、徘徊の御老人なんか多いのですか」

 聖橋を歩きだしながら、そうたずねてみた。

「はい、ときどきいらっしゃいますね。子どもさんの迷子は親御さんが必死で探しているから、たいていすぐに保護したり、自宅にもどれますが、御年配の方のときは、てまどります」

「独居老人のときもありますからね」

「はい、時間がかかりますね」

 どうしても身元がわからなかったらどうするのか聞いてみたかったが、あまり興味を持つのも変に勘ぐられそうなのでやめた。独居老人や認知症の老人を食い物にしている詐欺もいるのだ。

「お近くにお住まいですか」

 逆に職質もどきの質問がきた。御茶ノ水駅の聖橋口のまえを通過する。九時をすこしまわった頃なので、まだ人が多い。

「家は練馬です。会社が本郷なんで、近くで飯を食って、これから泊りで仕事です」

「たいへんですね」

「出版社ですから、編集の仕事がね」

 若い巡査は、すこし感心したようにうなずいた。忙しい雑誌か何かの編集者とでも思ったのだろうか。

「本の編集てたいへんなんでしょう。本官は漫画くらいしか読みませんが」

「少年○○○○でしょう。最近の発行部数は、とてつもないですね」

 その大手出版社もすぐ近くにある。大から零細まで、このあたりには版元は山ほどあるのだ。

 画材屋の「LEMON」の前をすぎた。名曲喫茶のサンロイヤルの宮殿みたいなビルが左手にそびえている。もう明大口だった。

「御足労でした。信号を渡った角ですから」

 もう交番の赤ランプが見えていた。


猫迷宮  81

2011年03月29日 03時29分55秒 | 文芸

 

「あの、すみません。小学校へはどういったらいいでしょう・・・」

 ふりかえると、質素ななりをした老女が立っていた。老女も男坂を登ってきたらしい。道をたずねているのだ。どこの小学校のことだ?

「ええと、どこの小学校ですか」

 相手が老人なのでゆっくりとききかえしてやる。

「小学校のそばに姉の家があるんです。もうずいぶん歩いてきたのにみつからないのです」

「えっ、どちらから歩いてきたのですか? お宅はどのへんなの?」

 聞き返しているうちに、これは、と思い始めた。自宅の所番地もおぼつかないようなのだ。

「もうこんな夜になってしまって」

 と、老女は心細げな声をだした。八十ちかいのではあるまいか。すくなくとも明るいうちに自宅を出たはずだ。してみると三、四時間はこの歩きまわっていることになる。荷物のひとつも持ってはおらず、フラリと家を出てきた風情だった。

「お姉さんの家の名前は?」

「ナミエです」

「いや、下の名前じゃなくて、苗字ですよ」

「ナミエなんです」

 二度ばかり同じ問答がくりかえされた。ようやく、ナミエは浪江という苗字であることがわかった。

「こんなに遅くなってるから、明日出なおしたほうがいいですよ」

「帰り道もわからないんです」

 聞きながら、最寄りの交番はどこだったか、と考える。

「小学校さえわかれば、姉の家があるので・・・」

 文京区にいったいいくつの小学校があるのかわかっているのだろうか。それとも、遠い昔の記憶がよみがえって、ほんとうは別の町の小学校のことであるかもしれない。

「あのね、いちばん近い交番に連れて行ってあげますよ。そしたら、お巡りさんがきっと調べてくれますから」

 すこし大きな声で、説得するように言ってやった。

「はい、ありがとうございます。もう、どこにいるのかまったくわからなくなってしまって」

「神田明神の裏ですよ、ここは」

「はあ・・・」

 交番に連れて行ってやるにしても、自分が知っているのは壱岐坂の派出所くらいだし、そこまではだいぶ遠い。御茶ノ水駅のあたりにいけば、駅前にあるかもしれない、と見当をつけた。亡くなった母親のことを思い出して、こういう年寄りは邪険にできない性質だった。

 ともかくも聖橋の方角へ歩きだす。駅前に交番があったかどうか。なければ、駅の事務室で相談して、保護してもらえばいい、と段取りをめぐらし、後ろをふりかえりながら、ゆっくりと交差点に出てきた。老女はよろよろとおぼつかない足どりで、ついてくる。湯島聖堂の塀の暗がりをぬけると、パッと視界が開けた。神田川を見下ろす聖橋のたもとに出たのた。川が町の明かりを映してゆっくりと流れていた。

 視界が開けたのはそれだけではなかった。聖橋のむこうから、警邏巡回中なのか、警官が二人ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えたのだ。警官がちかづいてきてほっとするのは、はじめての経験だ。老女を橋の上で待たせて、警官に声をかけた。

「すいません、あのお婆ちゃん、どうも迷子になっているらしいんです。近くで道を聞かれたんですけど、どうも要領を得ないので、交番をさがしていたところです」

「迷子? あのおばあさんですか?」

「ええ、なんか、その、徘徊ぽいんですが」

 失礼なので痴呆症とか、認知症とかという言葉は使わなかった。

 年長の警官のほうが、老女に歩みよって腰をまげるようにして話しかけている。老女は、最初に自分に問いかけたのように小学校に行きたいと話しだしている。警官はとまどったようにこちらをふりかえった。

「小学校?」

「ええ、小学校の近所にお姉さんの家があるとかいってました」

 それから、老女の名前とか自宅を聞いている。

「わかりました。明大口のほうに交番がありますから、そこへいってお話をうかがいましょう。歩けますか?」

 もうひとりの若い方の警官が老女の背中に手をあてて歩きだそうとすると、年長の警官がそれをとめた。

「待て、お婆ちゃん、だいぶ疲れているな。パトカー呼ぼう」

 肩に装着していた警察無線にむかって手配をしている。若い警官はすこしだけメンドクサそうな顔をした。明大口なら、それほどの距離とも思えなかったが、それは体力のある者の判断だ。さすがに年長の警官はそこらのことにも配慮があるらしい。

「あの、いいですか、いっしょに来ていただけますか。保護した場所とか、いくつか参考にさせていただきたいので」

「かまいませんよ」と、いってやる。自分もパトカーに乗せられるのか。

 

 


猫迷宮  80

2011年03月25日 21時42分41秒 | 文芸

        *

 

 上野から本郷へもどりはじめた。ビールの酔いがまわっている。なまぬるい夜の空気をひきずるように、のろのろと広小路から湯島の坂道をたどることにした。広い道を御茶ノ水の聖橋近くまで歩けば、本郷二丁目も眼と鼻のさきだ。

 しばらく紅花舎の社屋にくすぶっていたので、こんな夜歩きでもすこし気持ちが晴れるような気がした。どこかで水でも浴びたい気もする。そういえば、しばらく風呂にもつかっていなかった。ミドリちゃんがいれば、なにか言われそうな酸っぱい体臭が自分からたちのぼっているかんじだ。髪も洗いたい。明神下に銭湯があったような気がして、脇道にそれてみた。上野の酔客の言葉で、週末だったと気がつき、はて、自分も土日をどうやりすごすかと思案する。アパートでは、さぞかし新聞がたまっているはずだ。新聞をヤメなかったのを後悔した。いっそ、あの赤い靴の女が毎日ヌイていってくれたほうが、すっきりするな、とも思う。一日過ぎれば、新聞はたちまち古新聞にしかならないのだ。と、これも酔った頭のなかでどうでもよいことを考えている。

 銭湯はみつからず、明神下を歩きまわっているうちに、目の前に急な石段が現れた。いつのまにか明神石坂の下にきていたのだ。そこを上がれば、神田明神だ。段々のまんなかにある鉄の手すりにつかまるようにして、ノロノロと登る。坂のうえから一陣の風がふきおろして、すぎていった。なにかとすれちがったような風だったが、風はそれきり。坂の中途で、また汗がにじみでてきた。

 ようやく坂を登りきると、明神様の裏手の路上に数匹の猫がじっとすわっていた。すこしの距離をおいて、座っている。猫の集会場らしい。ふいに人が出てきたので、一様に顔をこちらにむけている。が、すぐにたいした相手ではないと見切ったのか、腹の毛をなめはじめるやつもいた。一匹だけ、すいっとたちあがって、柵をぬけて境内にスタスタ歩き去っていく。こっちも、かまわずに、さっさと表通り出ていくつもりだった。

 そのとき、後ろからふいに声をかけられた。

 


猫迷宮 79

2011年03月23日 03時14分33秒 | 文芸

 そのまま、フラリと夜の町にでた。本郷をぬけて、いつのまにか上野のちかくの路上を歩いている。大学の裏の細い道をくねくねとまがって、気がつくと不忍池のほとりだった。いつであったか、ミドリちゃんが、一度公園の池のボートに乗ってみたいといっていたのを思い出しているうちに、うかうかと道をたどってきてしまった。腹がすいていたのだから、手近な店に入ればよかろうものを、上野あたりで飯を食べようと思ったのだ。夏の夜道をミドリちゃんを連れてこんなところまで歩いてみたいような気がした。

 なにか胸騒ぎがしたのだ。ミドリちゃんはもう帰ってこないかもしれない。幾人かの失踪者の列に入ってしまいそうな気がする。預けて行った布の袋の中身が気になりだした。アパートにもどったら、あけてみようかとも思う。いつになく、弱気になっているのに気がついた。それもこれも、不吉な感じのする稲葉峯生氏の手紙のせいだった。独りで含み笑いをもらす。誰かに見られたら気味悪がられる所作だろう。

 結局。上野広小路あたりまで歩いて、手近な居酒屋でビールをあおるだけだった。焼き鳥の串を五本も平らげると、もうじゅうぶんだった。ミドリちゃんがいれば、ネギマとか、せめて漬物でも食べなさいというだろうな、と思って、またおかしくなった。たった数日の不在なのに、なんだか懐かしいような気もしてくる。酒を飲んでもすこしも気分が変わっていないのだった。

「おい、なんだっけ、あの変な立ち走りするトカゲって」

「う?」

「ほら、よくテレビに出てるだろ」

「走るのかい?」

「そうだよ、水の上だったかな」

「俺、夜勤が多いからテレビあんまり見ないよ」

 近くで飲んでいる二人連れがそんな話をしていた。なんのことか、こちらもてんでわからない。

「うんじゃ、オリンピックなんかも見ないんだ」

「そりゃあ、見るさ。ロサンゼルスなんだろ、こんど」

「ああ、マラソンで金メダルかもな」

「誰よ、それ?」

「えっ、知らないの?」

 こっちも知らなかった。そうだ、今年はオリンピックの年だった。そう気がついて、また変な胸騒ぎがしてきた。子どものときから、オリンピックの年にはいい思い出がなかったせいだ。それとも、毎年のように嫌なことはあったけれど、それがオリンピックと結び付くと、強く心に残るからかも知れない。

「それよか、明日、中山に行くの?」

「いいよ、かったるいよ。場外でいいさ」

 それが競馬の話であるのはすぐにわかる。

「明日、休みかあ・・・」

「休みでもカネがないとなあ」

 酔客たちは、しみじみとつぶやいて静かになった。


猫迷宮  78

2011年03月23日 00時47分58秒 | 文芸

 果たして民俗学の好事家としての関心事なのか、個人的なこだわりなのだろうか、稲葉氏はとうとう霊能者めぐりもはじめたようだった。なんだか『昭和戯文集成』と世界が重なってきたような感じだ。それにしても、地名の梅屋敷を猫屋敷と誤読して一瞬ぎょっとした。まるで土地勘のはたらかない場所だった。梅屋敷といえば、集金をたのまれたなかに蒲田方面が一件あったのを思い出した。そうだ、帰りに内山君が事故に遭った宗教団体の事務所もその近辺だった。どうにも、その周辺から呼ばれているような嫌な気分がする。それでも、怖いもの見たさに梅屋敷から蒲田周辺を歩いてみたいとも思うのは物好きすぎるだろうか。呼ばれているなら、行ってみるしかない、とふてぶてしい根性もある。これまでそんなことのくりかえしだった。・・・そこまで思いめぐらして、よしにした。腹がすいていた。ここしばらく、ろくなものを食べていない。カツ丼でも食べたい気分だ。ミドリちゃんもいないのだから、どうせ一人飯をかきこむだけだろうが、なにか温かい物を腹にいれたい。暑い時には、熱い食べ物や飲み物のほうがよいのだと、母親はよく言っていた。麦茶も煮だしたばかりのものをよく飲まされた記憶がある。まだ熱い麦茶をすすっていると、不思議と渇きがおさまったものだ。


猫迷宮 77

2011年03月22日 16時15分09秒 | 文芸

              *

 

 会社の郵便受けに茶色い封書が届いていた。差出人は、あの稲葉氏だった。稲葉氏の印象からだろうか、なんだか気が重くなる。陰気なオーラがその封書からも漂っている気がした。悪因縁のオーラだ。たぶん、校正刷りの返しがおくれている詫びだろうと、ハサミをだして封書をあけた。便せんに細かい文字で、案の定の言い訳が書いてあった。八月の末までには御返却できるだろうとある。まあ、かまいはしなかったが、用件のあとに、なんのつもりか、近況の報告が書いてある。

 

 私、最近になって、人の紹介で風変わりな霊媒師のもとに時々通っております。失せ物、訪ね人、良縁などの相談をしてくれる女占い師とでも申しましょうか。私には年来の関心事がありまして、易者の類はマメに訪ねたりしておりますが、今度の方は、陰陽五行とは縁がないような洋風の鑑定だとのことでした。占星術のたぐいかと思っておりましたら、霊媒だと申します。つまりは、さがす相手が生き物ならば、その魂を呼び出して、いまの居場所を口寄せしてくれるらしいのです。すでに物故している場合は、あの世からの交信となるはずです。イタコとはちがうようで、めったなことではそんな降霊術はいたさぬと、紹介の知人も言っておりました。

 私の関心は、魂がほかのものに憑依するという民間伝承でありまして、たとえば狐憑きとか、蛇憑きとか、はたまた死者の霊が憑いてしまうとか、斯界ではよくある現象のようであります。何度か訪ねているうちに、しだいにこちらの興味を伝えて、その人の霊能をこの目で確かめたいと思ったりしております。霊能と申しましても、多くは心理的な催眠術であることが多く、まやかしとまでは言わずとも、実態がないわけで、単なる仮想体験にすぎぬことは承知しております。ただ、ここ数年来、身体が弱ってきていますゆえ、長年抱いていた疑念をはらしたいし、また、私個人の実体験がいかなるものかと糺したくもあるのです。詳細は『猫文書』の中にも書いておりますから、神尾様も御存じと思われます。

 ともあれ、明日にもまた、京浜線の梅屋敷の奥にあるその霊媒師の家を訪ねることになっております。(稲葉峯生氏の私信)


『カンパネルラ』作品解題

2011年03月12日 21時18分14秒 | 文芸

画家の七戸優(しちのへまさる)さんとは、1990年代の初め頃、表参道のHBギャラリーの個展ではじめてその画業を知った。氏は寡黙だったが、二言三言言葉をかわした。この世界好きですねえ、くらいは言ったろうか。氏によれば、いつかいっしょに仕事ができたらいいですね、といったらしい。めったなことではそんなことを言わないわたしである。強烈な魅力を感じたときにのみ、最大の賛辞として思わず口にでる。爾来ずいぶん年月が経過してしまった。というのも、いくら気に入った画家と組んでアート本をつくりたいといったって、そんなマニアックな企画はなかなか出版界でかなうものではない。しかし、自然とそのチャンスがやってくるときがきた。パロル舎の編集者から超世代本の相談を受け、ふたつ返事で、七戸優さんがいい!!と、断言した。今回の制作も、七戸さんから既存の作品のポジをお借りしてのテキスト書きとなった。しかし、それだけではつまらない。水野さんのときのように、こちらも画家を挑発して、いきたい。そこで、コンセプトをかためるために七戸さんに、たくさんのアイデアや詩やイメージレターを送りつけた。コンセプトは少年の魔法の角笛。これはドイツの詩人プレンターの詩ののアンソロジーだが、七戸優描く美少年たちの世界をもうひとつ魔法にかけるつもりだった。驚いたことに、七戸さんは、この間にわたしの趣味というか、熱血テーマのドイツ飛行船ツェッぺリンをモチーフにした作品まですでに描いてくれていたのだ。その絵は、のちに、時事通信社からだした『夢みる飛行船』の装丁画に使わせていただいた。しかし、決してなにか注文したりはしない。こういうふうなものを描いてなんてことは、口が裂けても言わない。もっとも口が裂けたらものは言えないのだけれど。制作が進行するうちに、七戸氏は、装丁画と「浮力」と題する飛行船と少年の絵までも描き上げてくれた。まずは、銀座の青木画廊での彼の個展で発表された。狂喜して、即座にその絵を買ってしまったほどだった。もちろん、超世代本にも使いたい。どんなに無理をしても使う。むりではないと思うけれども。かくて、『カンパネルラ』(機械仕掛けの少年の魔法の角笛)は完成した。今回もデザイナーの北村武志氏の腕をかりて、妖しい二人の少年の物語ができあがった。ボーイズラブなんて言葉はなかったけれど、わたし流のジョバンニとカンパネルラだ。賢治先生へのオマージュとして。

縦横無尽、好き勝手、唯我独尊、そんなかんじだ。表紙画も当初編集者氏が提案してきたものを、ダメだといって、ひっくりかえした。最終形の「グラムフォン」という作品を強引に装丁画にしろ!!とゆずらなかった。どーさね?完璧でしょう?そして、最後のキメのフレーズもきまった。と、自分では思っている。この超世代本3作は、生涯大事にしたい渾身の作だ。

七戸優氏 ↓

http://www.tis-home.com/masaru-shichinohe

http://www004.upp.so-net.ne.jp/maboroshi-cafe/campa_hiwa.htm

七戸さんのほうが記憶が正確でしたね。↑ へんなヒトと思われてなくてよかった。


超世代本『アリストピア』解題

2011年03月11日 14時15分42秒 | 文芸

ひきつづき、『アリストピア』の制作裏話。大竹茂夫さんとは、銀座の青木画廊の関係者を通じて彼の画業を知った。もともと神戸在住の画家大竹さんをデザイナーの北村武士氏がみいだして、Tokyoでの活動を支援していた経緯があったようだ。すでに早川書房などで、装丁画として印象的な仕事をされていた。水野さんと同じく、大量の作品ポジが渡された。これで何かを生みたせという課題だ。作品のミステリアスな魅力にひきこまれつつも、絵の内部に心をこらしていく。すると、描かれている女の子がみな同じではないか?と気がついた。一人の少女が、不思議の国に毅然として立っているではないか。これは大竹茂夫さんのアリスにちがいないと直感した。そこで、アリスと国をあらわすTopiaを組み合わせて、アリストピアAlicetopiaなる造語をつくりだし、既存の絵をパズルのようにならべてはひっくりかえし、テキストもシュールなものにして、組み立てていった。ルイス・キャロルのように単なる言葉あそびの要素も楽しんだ。もちろん世界観は私流だけれど。出版直後、ベルギーだかどこかの出版社から翻訳出版のオファーが来たが、いつのまにか沙汰やみになっている。条件が折り合わなかったのか、テキストが翻訳不能と判断したものか不明。

本書は、大竹茂夫+天沼春樹+デザイナー北村武士の3者の合作ともいうべきもので、どれひとつかけてもなりたたなかったと思う。版元? 編集段階でなにも口出ししなかったことが最大の功績じゃなかろうか。もともと私には、なんの口出しもしない版元だけれどね。

後に、本作にインスパイアされて、アリストピアをモチーフにした現代舞踊家、矢作聡子さんもあらわれたり、別のアーチストを刺激していて嬉しいかぎりだ。ちなみに、その現代舞踏の次の舞台のシナリオ書きを手伝ったりして、新たな体験にもつながっている。

http://www.kk-video.co.jp/schedule/2006/08_0102_yahagi_latrace/08_01latrace.html


著者解題(かいだい)超世代本『旅うさぎ』『アリストピア』

2011年03月11日 13時11分22秒 | 文芸

パロル舎で3冊ほどだしている超世代本の来歴をすこし。先行企画には、落田洋子さんや建石修志さんの絵に舟崎克彦さんが文をつけた作品が2点ほどあった。このシリーズはもともと原画があったものに、ストーリーを創作してアート絵本とする企画だったのだ。したがって、テキストに絵をつけるという通常の制作のながれとはちがう。テキスト作者とデザイナーの手並みが試される仕事である。私はもともと気に入った画家の絵に触発されて物語が生まれるタイプなので、まさにうってつけの企画だった。それに、気に入っている画家を選んでもよいのだから。第一作の画家、水野恵理さんは、ギャラリー活動をしているテンぺラ画の画家で、絵本などの経験もない。はじめにすでに発表されている作品のポジフィルムを貸してもらった。すべて、一枚絵、しかも動物の肖像画ともいうべきもので、人間や風景画というものは一切ない。しかし、描かれたそれぞれの生物たちのまなざしが、深遠な何事かを語りかけていた。そのメッセージは、受け取る側にゆだねられている。しばらく思い悩んだ。なぜこの画家は人物を描かずに動物ばかりを描くのだろうか?そんなことも考えたり、直接本人にたずねてもみた。本人の返答はここでは書かないことにする。

啓示があった。これらの賢者のようなまなざしをもった動物たちのもとを訪ねていくことにしよう。そして、彼らから何事かの言葉を聞いてこよう。聞き手は、旅うさぎのトマス・ハーゼンタール(ドイツ語で野ウサギの谷の意)。この名前はすいと出てきた。トマスは先祖の残した虫食いだらけの書物のなかで、唯一読みとれた「汝、旅に出でよ!」の言葉にしたがって、夢のなかに現れたペリカンの賢者シュナーベル・レイ(Schnabelはドイツ語でクチバシの意)のもとへの旅にでかけていく。ちなみに、登場してくる生物たちの名前の多くはキリスト教の聖者の名前からきている。これも、テンペラという古典技法で描かれた彼らにはふさわしいように思えたのだ。かくて、一連のストーリーはできあがった。すると、水野さんは、なんと新しく旅するトマスの姿を描きたしてくれた。かくて、絵本的流れがうまれ、一枚一枚が独立していた作品群が再構成されて『旅うさぎ』となった。デザイナーの細部にいたるまでのアートワークのおかげて、いまだに愛読者を持つロングセラーとなった。子供向きではないといの評判もあるが、はなから子供の読者など想定していないのだ。絵本だから子供用というのは、既成概念ではないのか。日本人のこのへんがキライだ。すぐに、なんとか向けっていいたがる。読めるのではあれば、子供だろうと成人だろうと、オランウータンであろうとかまやしないのである。それがこの超世代本のコンセプトなんだが、いまひとつ浸透していないようだ。以前、ジュンク堂などと語らって「超世代本コーナー」という、まあ余計な試みだけれど、アピールをしたことがある。

水野恵理さんとは、このほかにグリム童話の『白雪姫』を、すべて猫のキャラクターで描きおろしてもらって制作したことがある。このイレジエをしたのは私である。ヨーロッパの絵本に犬のグリム童話絵本があったのを思い出したのだ。『白雪姫』なら、キャラクターはやはり猫でしょう。とくに妖しくも美しい白雪の母親などは、犬タイプではないですよ。

目下第3作にとりかかっているが、今度は・・・・・・と、バラすわけにはいかない、サプライズがあるのだが、ひとつ心配事もあるとだけ、もったいぶってしめくくる。

参考水野恵理「イノセンスの迷宮」展http://www.aokigallery.jp/new/exhibition2008/mizuno/index.html

 


猫迷宮  76

2011年03月10日 00時02分13秒 | 文芸

                              

 

 

「おう、神尾くん、いいところに来た。いま電話しようとしてたんだ」

 丸尾社長がデスクのむこうから、体をゆすって立ち上がってきた。社長はどうやら入院をまぬがれて、週一度の通院と減量を言い渡されていた。夕方からの酒も禁じられたらしい。事務所にはほかに誰もいなかった。ミドリちゃんの姿もない。

「なんか新規の仕事がないかと思って。進行中のゲラが著者からもどってこないんです」

「ああ、あの二本な。金払いはいいけれど、原稿のほうが進行しなくてかなわないよな」

「あれっ、内山くんは?」

 本当はミドリちゃんのことをたずねたかったのだが、退院したての内山くんのことをきいてみた。

「う? まあだ使いもんになんないよ。夏休みをとらした」

「そうですか・・・」

「でさ、月末の集金が三、四件あるんだけど、回ってくんねえかな。千代田区内が二つと、豊島区、それに蒲田にひとつあるんだ」

「すぐに行きますか?」

「うんにゃ、伝票がまだできてない。島ちゃんも休みだし、あとでカミさんに作ってもらうから、明日からだな」

「島ちゃんも夏休みですか?」

「いいや、なにかの研修会らしいよ。勉強会ていってたかな」

「そうなんですか」

「三日四日っていってたかな。土日がはいるけどよ」

 社長はみずから麦茶の入ったボトルを冷蔵庫からだしてきた。

「あ、自分でやりますよ」

 勝手はわかっているので、湯沸かし器のとなりの戸棚からコップをふたつとりだした。

 社長は、「おう」といって、自分のデスクに腰をおろした。

「月末っていやあ、神尾くん、アパートのほうはだいじょうぶか? うちから出る手数料くらいじゃあもたないのとちがうかね」

 なにが言いたいのかわからなかった。まさか丸尾印刷で雇ってくれるはずもない。こちらがギブアップしてしまったら、社長も助っ人がいなくなって困るからだろう。

「もって、ニ三カ月でしょうね。このままだと」

「そうか。夏場はこっちの仕事もすくないしなあ。バイト料くらいなら、いくらか出せるけどさ」

 生かさず殺さずという言葉が頭に浮かんだ。

「すいません、お願いします」

「おう」と、丸尾社長は麦茶をグビリと飲んだ。

「病院のほうはどうですか」

 すこしはイタワル素振りもしないといけない。

「ああ、要するに良くはならねえが、これ以上悪化させないってところだろうよ。すこし痩せたんだぜ。体重が二キロ落ちたよ。そしたら、腰はすこしラクになったな」

 外見からはわからなかった。うなずいてみせながら、ミドリちゃんが出かけた研修会のほうが気になった。いったいどんな団体にはいっているのだろうか。簿記とかなにかのサマースクールでもなさそうだ。

 電話がかかってきた。

「おっと」と、いって社長は体をのばして受話器をつかんだ。そのきっかけで、頭をさげてひきさがることにした。電話の応対をしながら、社長は「じゃあ、明日な」というそぶりで手をふった。


猫迷宮 75

2011年03月09日 18時43分03秒 | 文芸

 

 練馬のアパートへ帰るにしても電車賃がかかるので、会社にもどって、いつものソアァーに寝転がった。腹はすいていたが、暑い中を歩いてきてぐったりして、どこかへ食べに出る気もしなかった。もう九時近かった。三十分ほど横になってから、いきなり飛び起きた。あれっ、シャッター下ろしていったよな、と気がついたからだ。戻ってきたときにはそこまで気がまわらなかった。誰かが来ていたのだ。わざわざシャッターを開けてまで入ってくるのは、関係者か物盗りくらいのものだ。あわててロッカーに隠した手提げ金庫を調べたが無事だった。あらためて見回しても室内を物色したような跡もない。行方をくらましていた社主が、様子を見にきたのだろうか。

 麦茶でも飲もうかと、冷蔵庫をあけてみる。

「あれっ?」

 と、まぬけな声をだしてしまった。ほとんど何も入れてなかった冷蔵室に缶ビールが二本、それにラップにつつんだ握り飯が二個。そのわきにはカラをむいてあるゆで卵がひとつ、これもラップに巻いて置かれていた。ミドリちゃんにちがいない。夕方、帰りがけに立ち寄ったのだ。昼ごはんを用意してくれたのに、こちらに来る暇がなかったのだろうか。缶ビールが二本というのはずいぶん気がきいていた。握り飯の下に、走り書きの置き手紙があった。「神尾さん、ちゃんと食べてくださいね。夏バテしないでいてください」と、書いてあった。なんだか、ミドリちゃんがどこかへ出かけてしまうようなニュアンスだ。夏休みをとって帰省するのだろうか。そういえば、ミドリちゃんの実家のことはほとんど知らなかった。おたがい氏素性のことなんか、まったく口にださなかった。どこで生まれて育ったかなんてことも。男女の間柄になってからも、あとさきのことなんか話さなかった。いや、そんなことはまだ早いにしてもだ。ミドリちゃんのことは知っていても、島村沙代についてはなんにも知らないのだ。それがふいに気になりだした。赤塚さんの不在を確かめて帰ってきたあとだ。ミドリちゃんも、このままいなくなってしまうような気がしてきた。それは夜の妄想かもしれないけれど。海苔をまいて、いつもより丁寧に作ってある握り飯や、缶ビールまで置いてあることも、なんだかなにかの合図のようでもある。

 握り飯とゆで卵をとりだし、ビールも一本机の上に置いた。しみじみとありがたかったけれど、しばらく手がつけられずにいた。こんな気持ちになるとは思わなかったのだ。

「明日の朝、なにかの口実をみつけて丸尾印刷にいってみよう・・・・」

 これは独り言だ。声に出してしまった。

「そうだ、赤塚さんも真剣に探してみなくてはな」

 ここ数カ月で、何人もの人間が目の前から姿を消していっている。音信不通、行方不明、チクデンという言葉もある。こちらに不可解な事柄をあずけたまま、消えていくのだ。世の中にはザラにあることかもしれないが、初めて追いかけてみようという気がわいてきている。ミドリちゃんが気になっているせいかもしれないけれど、もうひとつ、どうしても思い出せない記憶が封をされて身の内にある予感もしていた。いちばん追いかけたいのは。その封印された記憶なのかもしれない。

 ようやく食べ物をいただくことにした。いただく、という言い方もあまりしたことがなかった。ミドリちゃんの心づくしをいただくのだ。

 握り飯をほおばり、喉につかえた。缶ビールに手をのばすと、せっかく冷蔵庫に入れてあったのに、ビールはすっかり生ぬるくなっていた。