天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

最近の講義資料から

2011年11月24日 00時29分17秒 | 文芸

一橋大学と成蹊大学で「ドイツ文化研究」の講義をつづけているが、先週からグリム兄弟の業績の項目に入っている。Marchen(童話)だけがグリム兄弟の仕事ではない。1812年にグリム童話「子供と家庭のメルヒェン集」を刊行したときには、彼らはまた25、26歳の若い学徒だった。その後、言語学や文献学、神話学をはじめゲルマ二スティークの基礎となるようなたくさんの業績を築いていった。

しかし、今回注目したのは近代知識人であったグリム、とくにヤ―コプ・グリムの「自由」の精神についてだった。彼の「自伝」や、とくに1848年のフランクフルト、国民議会の議員に選出され、ドイツの憲法草案にかかわったヤ―コプの発言をみていくと、かれのFreiheit(自由)にたいする進歩的な考えが、はっきりとうちだされていて、現代にも通ずる理想主義的発言となっている。

大学の自由・国民と国家における自由の精神について、力説したのだが、学生諸君の反応はいまひとつで、唯一、聴講生として出席していた社会人のかたが授業後にいろいろ問題提起してくださったのが印象的であった。

以下は、配布した資料の一部。ヤ―コプ・グリムの発言の抜粋だ。これは今でも心して耳をかたむける価値かあるとおもうのだが。

■ヤ―コプ・グリムの自由についての発言資料

「私も、その頃、マールブル大学に学ぶものたちを支配していた精神を称賛したい。当時のそれは総じて溌剌とした、とらわれのない精神だった。ヴァッハラー教授の歴史と文学史の率直な講義は、多くの学生に生き生きとした印象を与え、特に、先生が大講堂で毎週おこなった公開講義は、満場の大喝采を博したものだ。ところが、国家の大権が、その後、目に見えて学校と大学の監督に介入しはじめた。国家権力は、強制的試験を大量に課することで教育機関の監督は達せらると妄想し、教員を不安におびえさせている。私には、このようなきびしい考え方は、将来ゆるまるだろうと思われる。そのような監督が、まさに飛躍せんとしている人間の自由の翼を切りつめ、これからの人生にとって役に立つ、無邪気な、自由にふるまう能力-----それはあとになればもうもどってこない----を制限してしまうことは明らかだ。ふつうの才能ははかることができるかもしれないが、特殊な才能についてはそれがきわめてむずかしいし、天才はそれがまったく不可能だということは確かなのだから。

 たくさんの履修規則がもし厳格におこなわれるならば、みんな同じ姿をした型にはまった人しか生まれない。国家は、むずかしい重大問題に直面したとき、そのような人からは、なんの力もかりられないだろう」

                      ヤ―コプ・グリム『自叙伝』より

■ドイツ憲法への考え方

「私が提案させていただく光栄によくしていおりますので、憲法条項のためにただ一言述べておきたいのです。宗教的、倫理的概念はすでに聖書の中にあります。しかし、自由の概念はとても神聖で大切な概念です。ですから、わが基本法の最初にこの概念を置くことが絶対に必要であると思います。ご提案の第一条は第二条にまわして、その代わり次の内容の者を第一条に挿入されるように提案いたします。すなわち<すべてのドイツ人は自由である、ドイツの土地には隷属は要らない、自由を持たない外国の人も、この土地にとどまるかぎり自由である>というものです。私が要求いたしますのは、なお自由の力強い効果を発揮するために、自由の権利を保障することにあります」1848年フランクフルト国民議会でのヤ―コプ・グリムの演説。これにもとずく憲法草案を提出。209192で否決される。

この自由の精神が、ドイツ基本法に反映されたのは第二次大戦後の西ドイツの基本法からだった! グリムの提案は100年早かったのだ。そのうえ、「ドイツの国土においてはいかなる人種でも隷属は許されないという趣旨は、あのリンカーンの大統領就任の1860年やその後の南北戦争よりも10年もはやいのだ!! 来年は1812年のグリム童話初版から200年の記念の年だが、グリム童話の再評価とならんで、グリムの進歩的思想の再評価や業績をもっと一般に知らしめるべきではないかと、一ゲルマニストして、わたしなどはおもうのだ。


帰りつかない夢ばかりみている。

2011年11月08日 20時52分06秒 | 文芸

奇妙な夢をみた。長野かどこかの山の旅館での合宿が終わった。みんなはバスに乗りこんでいき、自分だけは自転車で東京まで帰えろうとしている。道はわかっているつもりで、いくつか町をとおりぬけていく。夜だ。どの街も暗く、人もすくない。道はわかるといっても本能的に漠然とした方角にむかうだけだ。見知らぬが、いつか見たような町の景色がいれかわり変化していく。東京まではまだ100キロ以上もありそうだ。こういう自転車で見知らぬ町を帰る夢はときおり見ているが、きまって見覚えある景色をさがしている。さて、大きな町にでてきて、夜だというのに人も車も通行が多くなる。交差点に大がらな外国人女性がたって、人の波を交通整理している。自転車のわたしになにかいっているが、わからない。わたしは、ここらで何か食べておこうと思いつく。みまわすと、ちかくにマクドナルドの看板が見える。ま、しかたない、と店のなかにはいってみると、マクドナルドは看板だけで、田舎のパン屋が座敷を休憩場にしているだけだった。汚いガラスケースに調理パンがドサドサならべてあって、店番の兄ちゃんが、どれにするか?ときいてきた。やむなく、いちばん小さいホットドッグをたのむ。畳敷きの休憩場のテーブルにはサービスなのか座布団の数だけ、ミカンが置いてあった。そこで夢が終った。帰りつかない夢ばかりみている。

 


der Alp

2011年11月05日 13時06分53秒 | 文芸

ひさびさに長く眠り、長い悪夢をみた。私は、大きな中華食堂にいる。客のテーブルにはおいしそうなラーメンがならんでいる。そのラーメンのだされかたが独特だった。客の眼のまえに、出汁をとるのか、肉として具材にするのか、とつぜん大きな動物の死体がドサリとさしだされるのだ。小型の馬のような獣が半分皮をはがれた状態で足元におかれる。客は、その獣の肢や首をポキポキ折って、給仕にもどすのだ。しばらくすると、その獣がどう調理されたのか、ふつうの中華そばの体裁でなにごともなく客のテーブルに運ばれてくるしくみのようだった。

私のまえにも、ドサリとその小型の馬の死骸がおかれた。私はぎよっとした。その死体だとおもった獣は、半死のていで生きていたのだ。胴から下の皮をはがれ、血がしたたっていて、脚の一部は骨が露出している。こいつをにぎって折れということらしい。さらに、おどろいたことに、獣の頭部が人間の女なのだ。髪の長い女性で、もちろん見知らぬひとだ。断末魔の苦しみをうったえながら、こちらをみあげて、はやく始末してくれ、殺してくれとさかんに言い立てていた。人面の獣を殺すなんて、さすがにわたしはためらった。もう料理などどうでもよいから、一刻もはやくこの店を立ち去りたかった。

すると、また奥から給仕が出てきて、私のわきに立った。無言の圧力をかけてじっとこちらを睨んでいる。やむなく、私は、その獣の脚をつかむと、上側に折り曲げた。ボキリといやな音がした。獣は悲鳴をあげている。まだ絶命には程遠い。これもしかたなく、人面馬の首すじに一撃をあたえると、首がポロリと折れて下に落ちた。「女」の首はうつぶせに床をなめたかっこうだ。だが、首はまだ息があるようで、シューッと空気がもれる音をだしつづけている。ふいに、その音がやんで、ようやく絶命したようで、私はすこし安堵していた。給仕は、「お客様はキャンセルなさるのかと思いました」と、ひとことだけ挨拶した。その直後に夢がおわり、私は中華蕎麦を食べずにすんだ。

そのあとで、もうひとつ平凡な夢を見ていたようだか、いまはそちらのほうは思い出せない。

※Der Alp(独) 男性名詞 悪夢。夢魔。