天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

UMA or UMI? 

2011年10月30日 23時55分56秒 | 文芸
二週間まえから、夜間の帰宅中の林に沿った坂道で目の前をUMI(未確認昆虫)ともいうべき異形なバッタに横切られて唖然としている。体調は5センチメートルくらい。バッタのように長い脚をもっているが、三対ともクモのように同じ長さのようだった。奇妙なのは全身がまるで緑色の毛虫なのである。10メートルほど手前で発見し、接近しようと試みたころには道を横切って林やヤブに姿を消してしまう。夜目にもはっきりわかるほど大型で、ものすごく高速で移動していく。3メートル幅の道をあっというまにつっきっていく。一度は、坂をのぼってきた車のライトにおどろいてユーターンして隠れてしまった。昆虫の成虫のように甲殻ではなく、どちらかというとトゲトゲしたものがみっしり胴体からつきだしていて、緑の毛虫に足をつけたかんじである。超小型異星人の移動車両かな?なにかみまちがってるかな?と、いろいろ考えて、もう一度遭遇したら、はっきり観察してやるぞ!と思っているが、3回目の遭遇はまだない。
気温が下がってきたから昆虫なら活動期はしまいになってくるので、むりかもしれないが、釈然としない。羽はないようなのでバッタ類ともおもえないが、 世界にはまだ発見されていない異形の昆虫なんかはまだいそうな気がする。UMA (Unidentified Mysterious Animal未確認生物)ならぬ昆虫ではある。 ネットでUMAの画像を検索すると、奇妙な昆虫といっしょに女優のUMA Thurmanユマ・サーマンの写真が大量にひっかかってくるので笑ってしまった。ユマ・サーマンは大好きですけど。


烏瓜 

2011年10月30日 17時52分44秒 | 文芸

烏瓜の実、まだ熟さずに小さなスイカみたいな模様をのこして蔓にぶらさがっている。いまはそんな季節。思いがけない訪問者もある。夜になって明日着ていくつもりのワイシャツをハンガーからはずそうとしたら、その襟元に大きな蟷螂が乗っていた。洗濯物といっしょに家のなかにとりこまれたのだろう。緑色の大きな目とにらみあう。鎌をふりあげていないから敵意はないもよう。すばやくつまみあげて、窓をあけ、夜の闇のなかに投げてやる。庭先に落ちていったが、まあ両者ともこれでほっとしたかんじたろう。翌朝、家の前の路上で、みおぼえのある昨夜の彼に出会った。車につぷされてい死んでいる個体もときおりみかける。君は用心したまえ。そういって、いや、声もかけはしないが、とおりすぎた。わが家は、山の中の造成地にあるので、こういう虫たちとの出会いは頻繁だ。


Nadja-chat noir 冒頭3

2011年10月10日 02時47分30秒 | 小説

Qui suis-je ? 5

 

その日、ぼくは 16区の市電をのりつぎ、サンジェルマン・デ・プレの伯父の家を訪ねる途中、母親とはぐれてしまった。伯父の家にいくには、一度メトロの5番にのらぬとならない。ひとりでメトロにのったことのないじぶんだったから、おおいに困った。このまま家にひきかえそうとしたときだった。例の黒猫のやつが、これみよがしにメトロへの地下階段を降りていくのか見えた。あいつめ、こんな街中まできていたのか、と思うと、もう追いかけずにはいられなかった。切符のことなんかかまわず、メトロのホームへ追いかけて行った。黒猫がホームの端にすわりこんでいるのが見えた。そのとき、暗いトンネルから轟音をあげてメトロの車両がすべりこんできた。その日、見たメトロの車両ときたら、きみは信じないかもしれないけれど、ぶこつな四角い箱なんかじゃなかったのだよ。  

それは、ほんとうに魚の形をした地下鉄の車両だった。たったの一輌。これがトラムなんかであったら、それこそパリ祭かカーニバルの余興の花電車の試運転であったろう。ところが、その魚の形をした地下鉄は、暗いトンネルからぬうっとホームにすべりこんできたのだ。まばらにホームにたっていた人々は、行先の方面がちがうのか、さして関心もしめさず、新聞を読んだり、あらぬ方角をほうっとみつめていたり、あるいは会話に夢中になっていて、この驚くべきメトロの出現を気にもとめていないようだった。ドアがシューっと音をたてて開いた。開くと同時に、魚河岸にでもいるような魚くさい空気がホームに流れ出てきた。黒猫のやつは、しごくあたりまえだとでもいうように、メトロにとびのっていく。あっと思って、ぼくもとびのろうとしたが、鼻先でドアがしまってしまった。メトロのドアはもう金輪際開くことはないというみたいに、無慈悲な音をたててしまったのだ。ぼくは、またしても黒猫をのがしてしまうのか。魚は、いやメトロは、鱗をひからせながら発車していき、たちまちトンネルに姿を消した。ありがたいことに、それから数秒後、こんどはいつものメトロの車両がホームにはいってきた。ぼくは、先頭車両にまで走り、運転士の真後ろに陣取って、前方の軌道に眼をこらした。魚型メトロはなんだかノロノロ、ヌラヌラ走っていくようだったから、ひょっとして追いつけるかもしれないと思ったのだ。

 案の定、一マイルほど走った頃に、前方の軌道に巨大な魚がすべっていくのが見え始めた。トンネルがカーブしているところでは一瞬見えなくなるが、魚との距離は確実に縮まっていた。このままでは追突するかもしれないほどに。地下鉄軌道を逃げていく魚だ。運転士はもう気付いているはずなのに、なにごともないように車輌を走らせていく。ぼくのすぐ後ろに立っている大人たちが、昼食に食べたヒラメのムニエルの批評を熱心にしているのが耳にはいった。「魚ってやつは、料理人次第ですな・・・」と、いう言葉が聞こえた。

 ぼくはライトに照らし出される前方の軌道に眼をこらしつづけた。「いた !」と、ぼくは心のなかでさけんだ。ところが、もう手のとどきそうなところまで、ぼくの乗るメトロが追いついたとき、逃げていく魚は、トンネルの薄闇のなかで文字どおり溶けていってしまった。あとかたもなく、鱗ひとつのこさず、乗っていた黒猫もろとも溶けていってしまったのだ。

 

http://img.search.com/thumb/c/ce/Coelacanth-bgiu.png/200px-Coelacanth-bgiu.png 画像

 


Nadja-chat noir 冒頭2

2011年10月10日 02時44分46秒 | 文芸

Qui suis-je ? 3

 

きみは夢でみたことと、ほんとうにあったことの区別がつかなくなってしまったこ経験はあるだろうか。もちろん脳の具合がひどく悪いといわれれば、それまでだが、ぼくにはいくつか、どうしてもどっちなのかわからなくなっている事件がある。

たとえば、わかれた恋人のルネが、目の前で銃で撃たれた記憶だ。ただし、ルネは生きている。夢であったからだ。誰に撃たれたのかはわからないままだった。ルネの新しい恋人だったのか、当時パリを占領していたドイツ軍の兵士であったのか。その両方であったのか。ぼくは、肋骨の下を撃ち抜かれて報道にくずれおちるルネの姿を見て「あっ」と声をあげた。悪夢だと思った。けれども、ルネが銃殺された夢をみてからしばらくして、ルネ自身から手紙がきた。シテ島をみおろせる、サン・クールの橋のうえで会いたいと書いてきた。ぼくは会いにいかなかった。返事も書かなかった。ルネは死んだじゃないかと、そのときはかたくなに思い込むようにしていたからだ。

ところが、それから数年してみて、しばらくぶりにルネのことを思い出したとき、おかしなことが起こった。ルネが死んだあと、ルネから手紙が来た夢を見たとぼくは思い込んでいるのだ。ルネが胸から血をながして舗道ののうえにくずおちる光景と、いつもの郵便配達が「ボン・ジュール、ムッシュ !」といって、わたしに茶色い封筒の手紙を手渡した朝の光景が、どちらが夢で、どちらが現実なのか区別がつかなくなっていた。ルネを射殺したのが誰だったのかは曖昧なままだ。

 

 Qui suis-je ? 4

 

それから、また昔の写真の話にもどるのだけれど、猫頭の友だちは、実は男の子ではなかったような気もするのだ。ブラックキャットの花を胸にかざるような男の子なんて、その頃いるわけもなかったから。

 

 


Nadja-chat noir 冒頭

2011年10月09日 23時54分24秒 | 文芸

         Préface

 

 

 

 

 

世の中には子ども時代にこだわるあまり人生を台無しにしてしまう人種がいる。厳格な父親への恐れと嫌悪とか、母親を聖母化してしまうとか、悪い友人たちの影響とか、大人になったらきれいさっぱり忘れてしまえばいいものを、そういう記憶につきまとわれて、現在の生活をだめにしてしまうのだ。かくいうぼくも、そんな人種のひとりなのだ。ぼくがひきずりまわされているのは、人ではない。一匹の黒い猫だ。ぼくは、その猫を、敬愛するアンドレ・ブルトンにならって、ナジャとなづけることにした。黒猫のナジャというわけだ。ブルトンのナジャはロシア系の娼婦であったらしいが、ぼくのナジャは猫であるだけに、いっそう不可解で始末が悪い。ひょっとしたら、彼女は人生という迷路の案内人のつもりなのかもしれない。その迷路がどこにもいきつかないものであることは、百も承知のうえで、ぼくは黒猫のナジャをおいかけている。 

 

 

これはほんとうにあったことだろうか。ぼくはほんとうに生きていたのだろうか。ぼくは、ぼくの写っている何枚もの色褪せた写真をながめては、ため息をつく。それがかつてのぼくであったなんて、確証はどこにもないのだ。ぼくはなにものか ? –ぼくがおいかけてきたのは、いったいなんであったのか。ぼくがこのように、すべてを曖昧にしか考えられなくなったのにはわけがある。そんな話をしてみようか。ことわっておくが、それは過去の物語じゃないんだ。いまこれからだって、じゅうぶんにくりかえされる話なのだ。

 

 

 Qui suis-je ? 1

 

 

こどもの頃の一枚のふるぼけた写真がある。四人の少年が写っている。一番ひだりにぼくが、そこぬけにあかるい顔で、ほほえんでいる。そのとなりがちびのルイで、その次が魚屋の息子のジャン・リュックだ。二人の名前はよくおぼえている。ふたりとも、ぼくのこども時代に、そろいもそろって自動車事故で死んでしまった。ぼくは現場も知らないし、ルイとジャンの葬儀がいつおこなわれたかも知らされなかった。ただ、夏の終わりに親からそれと聞かされただけ。大人たちは、新聞記事でも読んで聞かせるように、その年の夏休みにあった友だちの出来事を話していた。

それから、右端に写っている子。しかし、これは誰だったのだろう。たまたまいっしょにいたにしては、ぼくたち四人はいかにも親しげだ。

ぼくは、セピア色の写真を丹念に眺めてみる。すると、右端の少年の頭部だけが、いささかおかしいのに気がつくのだ。いささかというのでは言葉がたりない。なんと。その子の頭は一匹の猫そのものなのだから。白いきちんとした襟のシャツにネクタイをむすび、うすい色のビロード地のジャケットの胸ポケットにはなにやらしおれかけた花までさしてある。よくみたらブラックキャット草のようにみえる。ごていねいなことだ。

あわてて、目をこすって、もういちど写真を見ると、こんどはその少年をのぞいてぼくまで全員が猫の頭部に変わっている。おそろしくて、それ以来その写真は、机のひきだしにしまいこんだまま二度と見ていない。いまでも、ときどき写真館のショーウィンドウに飾られているポートレートのなかに、猫に変化した紳士のものをみかけることがある。おそらく、人は見て見ぬふりをしているとしか思えない。大げさに騒ぎ立てるようなことじゃないとでも思っているかのようだ。そのとおりなのだろうか。あの写真の裏に19335月とペンで走り書きしてあったことを覚えている。

 

 

 Qui suis-je ?  2

 

「わたしは何者であるか?」という問いにこたえるならば、わたしならば「どんな夢をみるか」ということにつきる。子ども時代、わたしは頻繁に町のうえを飛ぶ夢をみた。たいして高くはなく二階の窓にとどくくらいの低空を両手をのばして、時代おくれのピーターパンよろしく、あちこち飛び回っていた。目覚めると、両腕がひどく痛むときがあって、その夜はよほど力をこめて羽ばたいていたのだろう。飛行しながら、わたしはなにを見ていたのか。いや、見ているというよりは、たいていなにかを追跡しているのだ。地上をすばしこく逃げ回る生き物を・・・・・

 

 

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