Préface
世の中には子ども時代にこだわるあまり人生を台無しにしてしまう人種がいる。厳格な父親への恐れと嫌悪とか、母親を聖母化してしまうとか、悪い友人たちの影響とか、大人になったらきれいさっぱり忘れてしまえばいいものを、そういう記憶につきまとわれて、現在の生活をだめにしてしまうのだ。かくいうぼくも、そんな人種のひとりなのだ。ぼくがひきずりまわされているのは、人ではない。一匹の黒い猫だ。ぼくは、その猫を、敬愛するアンドレ・ブルトンにならって、ナジャとなづけることにした。黒猫のナジャというわけだ。ブルトンのナジャはロシア系の娼婦であったらしいが、ぼくのナジャは猫であるだけに、いっそう不可解で始末が悪い。ひょっとしたら、彼女は人生という迷路の案内人のつもりなのかもしれない。その迷路がどこにもいきつかないものであることは、百も承知のうえで、ぼくは黒猫のナジャをおいかけている。
これはほんとうにあったことだろうか。ぼくはほんとうに生きていたのだろうか。ぼくは、ぼくの写っている何枚もの色褪せた写真をながめては、ため息をつく。それがかつてのぼくであったなんて、確証はどこにもないのだ。ぼくはなにものか ? –ぼくがおいかけてきたのは、いったいなんであったのか。ぼくがこのように、すべてを曖昧にしか考えられなくなったのにはわけがある。そんな話をしてみようか。ことわっておくが、それは過去の物語じゃないんだ。いまこれからだって、じゅうぶんにくりかえされる話なのだ。
Qui suis-je ? 1
こどもの頃の一枚のふるぼけた写真がある。四人の少年が写っている。一番ひだりにぼくが、そこぬけにあかるい顔で、ほほえんでいる。そのとなりがちびのルイで、その次が魚屋の息子のジャン・リュックだ。二人の名前はよくおぼえている。ふたりとも、ぼくのこども時代に、そろいもそろって自動車事故で死んでしまった。ぼくは現場も知らないし、ルイとジャンの葬儀がいつおこなわれたかも知らされなかった。ただ、夏の終わりに親からそれと聞かされただけ。大人たちは、新聞記事でも読んで聞かせるように、その年の夏休みにあった友だちの出来事を話していた。
それから、右端に写っている子。しかし、これは誰だったのだろう。たまたまいっしょにいたにしては、ぼくたち四人はいかにも親しげだ。
ぼくは、セピア色の写真を丹念に眺めてみる。すると、右端の少年の頭部だけが、いささかおかしいのに気がつくのだ。いささかというのでは言葉がたりない。なんと。その子の頭は一匹の猫そのものなのだから。白いきちんとした襟のシャツにネクタイをむすび、うすい色のビロード地のジャケットの胸ポケットにはなにやらしおれかけた花までさしてある。よくみたらブラックキャット草のようにみえる。ごていねいなことだ。
あわてて、目をこすって、もういちど写真を見ると、こんどはその少年をのぞいてぼくまで全員が猫の頭部に変わっている。おそろしくて、それ以来その写真は、机のひきだしにしまいこんだまま二度と見ていない。いまでも、ときどき写真館のショーウィンドウに飾られているポートレートのなかに、猫に変化した紳士のものをみかけることがある。おそらく、人は見て見ぬふりをしているとしか思えない。大げさに騒ぎ立てるようなことじゃないとでも思っているかのようだ。そのとおりなのだろうか。あの写真の裏に1933年5月とペンで走り書きしてあったことを覚えている。
Qui suis-je ? 2
「わたしは何者であるか?」という問いにこたえるならば、わたしならば「どんな夢をみるか」ということにつきる。子ども時代、わたしは頻繁に町のうえを飛ぶ夢をみた。たいして高くはなく二階の窓にとどくくらいの低空を両手をのばして、時代おくれのピーターパンよろしく、あちこち飛び回っていた。目覚めると、両腕がひどく痛むときがあって、その夜はよほど力をこめて羽ばたいていたのだろう。飛行しながら、わたしはなにを見ていたのか。いや、見ているというよりは、たいていなにかを追跡しているのだ。地上をすばしこく逃げ回る生き物を・・・・・
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