おじいちゃんの娘(なつの養母)は、自分が9つの時おばあちゃんが病気で倒れたときにおカネがないためにドクターが帯広から来てくれなかった話をして、組合さえあればとハッキリ言っていた、と証言します。それなのに、婿の剛男の言葉には反発している。やっぱりひねくれ者。
演劇部の先生に、おじいちゃんのことを、傷つけずに表現して欲しいと頼むと、先生は、もちろんだと請け合います。そのために、演劇がある。
演劇とは、生活者が楽しみながら自分の生活を見つめ直す機会を得るものである。
というのが、先生の持論。
生活者、とは古くさい表現だし独特の持論ですが、この1950~60年代と言えばプロレタリア文学がはやっていたはずの時代ですから、こういう言葉づかいも不自然ではないかも。
ともかく、おじいちゃんが楽しめる演劇をつくる、と先生が言ったから演劇部に入りたい、となつが言うと、女優になれとおじいちゃん。自縄自縛のなつなのでありました。(バカみたい)。
アニメーターになるハズなのに、女優を目指すってどうなんだいったい(笑)
夢がさいしょから決まってる人ばかりが夢を叶えるわけじゃないってことでしょうね。
わたしみたいに、いつまで経ってもデビューできない作家志望もいるわけです(笑)
演劇部の先生に、おじいちゃんのことを、傷つけずに表現して欲しいと頼むと、先生は、もちろんだと請け合います。そのために、演劇がある。
演劇とは、生活者が楽しみながら自分の生活を見つめ直す機会を得るものである。
というのが、先生の持論。
生活者、とは古くさい表現だし独特の持論ですが、この1950~60年代と言えばプロレタリア文学がはやっていたはずの時代ですから、こういう言葉づかいも不自然ではないかも。
ともかく、おじいちゃんが楽しめる演劇をつくる、と先生が言ったから演劇部に入りたい、となつが言うと、女優になれとおじいちゃん。自縄自縛のなつなのでありました。(バカみたい)。
アニメーターになるハズなのに、女優を目指すってどうなんだいったい(笑)
夢がさいしょから決まってる人ばかりが夢を叶えるわけじゃないってことでしょうね。
わたしみたいに、いつまで経ってもデビューできない作家志望もいるわけです(笑)