_今も昔も、ジュビロには良さがある。
それが発揮されるには、土台がシッカリしているかどうか?
常に注視し続けねばならないのが、サポーターの役割であろう。
_昔のジュビロは女性FANがアウェーにも多く居た、ホームでの家族連れとは少し雰囲気が違ったものだ。
選手を軽々しく放出する様になって、固定(コア)層にも見限られた。
今のジュビロにはチーム愛があっても、選手への愛が黄金期よりも薄れている。
_サポーターが変われば、もっと愛される選手も居るだろう。
昨年訪れた等々力での川崎F戦。
ジュビロのゴール裏からは、どこか無機質な空気を帯びている様に感じられた。
組織の倦怠感とまではいかないが、サポーターを躍動させる刺激が足りないのは確かな様だ。
_それもこれも、選手が真面目で大人しい特徴を選んでチーム編成をしているのが主因と言える。
『菊池 直哉』選手の不祥事を今さらここで書くのは忍びないが、あの一件はまだチームに傷跡を残しているのだろう。
選手を守る意識も無いとは言わないが、それよりも面倒事を酷く恐れている様な姿勢は感じ取れる。
_それが顕著なのが、『前田 遼一』 選手のゴールの呼び名に対してである。
2ch.やtwitterで話題として取り上げていた人間は、極僅かだ。
それも続いている記録の一つとして、認識していたに過ぎない。
それをメディアが取り上げると、一気にオフィシャルな情報にすり替わる。
_記録としての情報共有は良いが、twitter上では明らかに行き過ぎの印象操作がなされていた。
これでは、前田選手が死神の様な扱いを受ける事になる。
勿論、4コマ漫画等でも脚色されたネタとして扱われる。
オチは、彼のゴールをファール覚悟で阻止せねばと動く相手DFの姿だった。
_前田選手を叩く事で、対戦する他チームは息を付くのかもしれない。
だが、磐田は前田選手の所有物ではないのだ。
彼一人がどうなった所で、揺らぐ様なチームでは無い。
だから、2ch.で騒がれているだけなら問題にはならないのである。
記録の一つとして、情報の共有と更新がなされていくだけだ。
_だがこれがメディア経由で拡散した場合、ライト層や一般層は違った受け取り方をしてしまう。
「磐田と対戦するチームは彼(前田選手)をどうにかすれば、救われる」
勿論、チームとして情報発信はしていた。
だが、問題なのはあのキーワードだ。
明らかにサッカーの競技性を損なうし、紳士的なプレーで成り立つJリーグを侮辱する言葉だ。
それに個人的に彼が『高原 直泰』と『中山 雅史』の控えに収まる前から、知っているサッカーFANとして……。
彼がその様な呼称が似合う様なプレーヤーでも、パーソナリティーでも無い。
彼自身が、多くを語らないのを良い事に好き放題言う。
_これを説明するには、野球の報道を持ち出す必要がある。
日本のメディアはラジオの時代から、野球がスポーツの中心であり続けている。
そして、これから先も自らこれを変え無いであろう。
3冠王で名将たる『落合 博満』が、現役時代に受けた扱いと同じなのだ。
_彼が変わった人間であった事は、多くの人が認める所だ。
だがそれを、外部の人間が直接被害を被っても居ないのにとやかく口を出す。
そこには、選手を叩く事によって利益を享受しようとする仕組みが存在する。
_『野茂 英雄』がメジャー挑戦を任意引退選手として、表明した時。
野球界の論調と、メディアの論調は全く一致していた。
この時に、SEGAやCSKの創始者で知られる故人の『大川 功』が手を差し伸べねば……。
彼は大事な時期に、息を付く暇も無かった筈だ。
_『堀江 貴文』と『上杉 隆』の対談録を起こした、「だからテレビに嫌われる」をかいつまんで読んだ。
そこには、読売グループが、資本主義の中で生きる共産主義的組織である事が故『氏家 齊一郎』の話として述べられていた。
共産主義は、特定個人に対してイジメをするというのがそこでのテーマである。
_つまり、メディアの問題は組織の根底からくるものだ。
体質と言って良いし、情報の受け手である我々はすっかりそれに飼いならされていると言える。
勿論、少なくない人数の受け手がこれをイジメであると認識している。
だけど、この流れを止める手立ては見つかっていない。
_これを個人的な憶測で片付ける事は容易だし、その憶測を裏付ける情報も在るところには在る。
だから一言だけで核心を突くならば、こう答えるしか無い。
「前田選手も、ジュビロ磐田も被害者なのだ」
勿論、それに至る経緯でサポーターが無頓着である事は一つの要因である。
_サッカークラブの組織づくりは、企業スポーツよりもそのハードルは高い。
だからホンダが企業スポーツから脱却出来なかったのも、その意味では理解出来る。
サッカーに関わる事で、無益な争いに巻き込まれるのだから……。
_しかし、そういった負の面ばかり見て行動を起こせなかったホンダは情けない。
それは、韓国の現代(ヒョンデ)自動車の世界的躍進をを見れば一目瞭然ではないか?
現代自動車は、W杯の冠スポンサーである。 (×チェルシーの胸スポンサーはサムスンでした )2013年5月19日 13:34訂正
また、本田圭佑が所属するCSKAモスクワのユニフォーム。
チームエンブレムの上に、胸スポンサーとして出資している。
マツダは、ローマの胸スポンサーだった事がある。
ダイハツは、アタランタの胸スポンサーを2部に降格した時にも出資していました。
トヨタは、中田がパルマに移籍した後の2002-2003シーズンのペルージャ。
フィオレンティーナやレッドスターで、胸スポンサーをしていました。
ホンダは、サッカーへの投資を考えた事はあるのでしょうか?
私は全てを知り得ないので、どこかで企業スポーツ以外にも出資してくれていると良いのですがね。
_結局、立ち位置を明確にしないとホンダの様な大きな会社も厳しいとの判断があったのでしょう。
その意味で、サッカーを中心としたビジネスの躍進がこの異常な世の流れを生み出している背景もあると思います。
今現在、日本が置かれている状況を鑑(かんが)みれば……。
以前の方が、国家としての自立と国民の自由は保障されていました。
_制限を土台とするマネジメントは、現在の主流になりつつあります。
日本の歴史を紐解けば、『伊藤 博文』が暗殺された後に『山県 有朋』が行った施策です。
それが管理者に都合が良いというだけの理由で、徹底され続けるでしょう。
そして、その覇権争いの現場に選ばれたのがジュビロ磐田だったというだけです。
_逆説的に言えば、ここでジュビロ磐田が陥落すると……。
この争いを勃発させる事が、スポーツのシーンで有効な手段と成り得ると誤解されるでしょう。
しかし、なぜジュビロだったかを紐解かねば……。
この火種を抱えて、来シーズンも戦わねばなりません。
_ワールドワイドなサッカーだからこそ、こういったエピソードは生まれます。
だからこそ、我々一般の人間も……。
世に出回る情報に真摯に向き合い、その裏を考え……。
そして支配者の立場になって、マネジメントを考察する必要があるのです。
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