檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

社会と共生する事がエコじゃない

2012年05月31日 08時44分40秒 | 常識+教育

_コミュニティーの欠落が、都市部では目に余ります。

助け合いの輪は、旧態依然とした組織にはあるでしょう。

 

_為政者が生み出す組織もあれば、自然発生する組織もある。

エコという定義自体が、自然発生で無い事は明白。

社会を自然発生した段階まで、フォーカスすると……。

そこに必ず、助け合いが確認出来る筈である。

 

_一握りのエゴが、その構造を組み替えていった事実。

ここから目を背けていては、社会自体が視えてこない。

まずは信じさせられている、全ての事柄を疑うべきである。

 

_疑いを晴らすのは、市民の仕事では無い。

為政者は、疑いを抱かせない努力を止めるべきであろう。

助け合いの中では、信頼よりも疑問の方がありがたい。

 

_そこに気付けないからこそ、為政者は改善策を失って硬直するのだろう。

迷いは誰しも手に抱くが、懸命な人はそれを生涯手放しはしない。

迷う事を放棄する人間は、為政者の下僕に成り下がる。

 

_迷う事を、目的としている人間も居る。

結論を出す事を放棄し、自らを欺く下劣な行為だ。

これは現実逃避であり、ただのポーズに過ぎない。

 

_正解があるから迷うのでは無く、人間だから迷うのだ。

そして迷い続けるからこそ、新しい道を発見出来る。

社会やエコについても、新しい道を探し続けなければならない。

そして、それはどちらが先でも後でも無い。

 

_エコを実践しようと思ったら、社会の枠組みの外で思案すべきだ。

人間社会に地球を組み込んで考えていては、いつまで経っても変わらない。



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