_コミュニティーの欠落が、都市部では目に余ります。
助け合いの輪は、旧態依然とした組織にはあるでしょう。
_為政者が生み出す組織もあれば、自然発生する組織もある。
エコという定義自体が、自然発生で無い事は明白。
社会を自然発生した段階まで、フォーカスすると……。
そこに必ず、助け合いが確認出来る筈である。
_一握りのエゴが、その構造を組み替えていった事実。
ここから目を背けていては、社会自体が視えてこない。
まずは信じさせられている、全ての事柄を疑うべきである。
_疑いを晴らすのは、市民の仕事では無い。
為政者は、疑いを抱かせない努力を止めるべきであろう。
助け合いの中では、信頼よりも疑問の方がありがたい。
_そこに気付けないからこそ、為政者は改善策を失って硬直するのだろう。
迷いは誰しも手に抱くが、懸命な人はそれを生涯手放しはしない。
迷う事を放棄する人間は、為政者の下僕に成り下がる。
_迷う事を、目的としている人間も居る。
結論を出す事を放棄し、自らを欺く下劣な行為だ。
これは現実逃避であり、ただのポーズに過ぎない。
_正解があるから迷うのでは無く、人間だから迷うのだ。
そして迷い続けるからこそ、新しい道を発見出来る。
社会やエコについても、新しい道を探し続けなければならない。
そして、それはどちらが先でも後でも無い。
_エコを実践しようと思ったら、社会の枠組みの外で思案すべきだ。
人間社会に地球を組み込んで考えていては、いつまで経っても変わらない。
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