さっくり前向きにガツガツと取り組んでいる不妊治療ではありますが、なんとなくまとめづらかった心の変化とかを、準夜勤でちょっと時間のある(そして走りにいったりする気力がない)ときにちょっと残しておこうと思います。
「家族の中の私の立ち位置って?家族になりたい」
2011年春頃、H氏宅へと引っ越し3ヶ月が経ち、隔週でやってくる息子達との関係にも少しずつ慣れてきた頃。普通の家族と違って、同じ家に住む義姉家族や近所に住む義母など、完全にH氏家族に囲まれての生活で、みんな本当に温かく優しくしてくれるんだけど、完全にアウェーな気分は高まる一方。
共通の思い出がない、家族の歴史を知らない、私以外はほぼみんな血のつながりのある家族、もしくは子供達がまだ赤ちゃんの頃から知っている人達。彼らは私の家族は背景を知らない、興味がないわけではないんだろうけど、きっと遠い外国のことだし、漠然とし過ぎててイメージもつかないんだろうけど。とにかく、周りにもよく言われるし、自分でも思うけど、まあよくそんな完全アウェーな家族の中に飛び込んでいったな、と感心します。
でもこの頃はとにかく「家族」というのがつらかった。息子達のこともすごくがんばってたけど、がんばればがんばるほど、「それでも家族ではない、私のものではない、私は彼らの一部にはなれない」という気持ちもありました。
で、子供が欲しくなった、と。もちろん、大好きなH氏との子供が欲しかったわけですが、家族の中でどうしても時々痛感してしまう孤立感を子供をつくることで、どうにかしたかった。H氏家族と自分をつなぐためにも子供が欲しかった。
なので、まだ同居して間もないのに、子供ほしくて、という私に一部の友人達は「まだ早いんじゃない?そんなに焦らなくても大丈夫だよ~」となぐさめてくれたものですが、新しい環境と家族とに慣れるのに必死だった私は、今思うとけっこうヒステリックな反応をしていたと思います…。H氏とも「結局はあなたは子供達を、私ではなく家族を絶対選ぶ」と、絶望的な喧嘩をしたものです。
とにかく自分の立ち位置が不確かで、それで子供が欲しいとかって、自分勝手な動機だったなーと。しかもあるとき日本人のお友達で、ご近所に義両親が住んでいる人と結婚し、子供が生まれた方にそんな話をしたら、「でも子供生んでもその感覚って変わらないよ。むしろ孤立感はもっと強くなるかも。だって自分の子供ですらむこうの家族と血がつながってるんだもの」と。彼女はある日仕事が遅くなって家に帰ったら、子供を含む自分以外の家族が一家団欒をしているのをみて、ふと切なくなったそうです。それを聞いて、ふーむ、なるほど…と妙に納得したものです。
「私が望むものは、彼にとってはエクストラ」
息子達との夏休み3週間南イタリアのバカンスを終え、旅の中で喧嘩したり泣いたり仲直りしたりして、ぐっと距離が縮まった息子達との関係。ようやく「家族になりたい呪縛」から少し解放され、H氏も「よっしゃ、じゃー作るか!」といよいよベイベープロジェクトも本格始動。
しかし超ありがちなことに、妊娠なんて本気になればすぐできるものと信じ込んでいた(というか自分が難しいタイプとは想像もしていなかった)ので、毎月生理が来るたびに「なんで?!」と、がっかり&そして悔し泣き(?)。そんな妊娠を望んでいた女性なら誰でも理解できるつらい中、H氏に言われた言葉が「でもたとえできなかったとしても、僕たちにはTとA(息子達)がいるんだし、それで幸せだと思うことにしよう?もちろん、君は彼らの本当の母親ではないわけだけど…」と。それはもう、私の脳みそがWi-fiでネットにつながってたら、瞬時にSASの日本行きフライトをオンラインブッキングしていたであろうほどのショック、そして怒りでした…。
バツイチ子持ちとの再婚は、自分が彼との子供を望むとき、たとえ彼が子供を作る事を賛成して喜んでくれていたとしても、それはエクストラの子供、前向きな表現をするなら「ボーナスチャイルド」でしかないのだと悟った、悲しい時期でした。
またH氏にとっては、元奥さんと離婚して、T3歳、A1歳半の幼児を隔週ごとに一人で9年間育て、やっと子供達もそこまで手がかからなくなり、新しい彼女もできて、さあこれから恋人との時間を楽しむぞ!という時なのです。そこに終ったばかりの「ヒステリーな妊婦の対応」、「赤子の泣き声で寝れない日々」、「山のような洗濯物とおむつ替え」を新しい彼女と繰り返すわけです。気楽に街へ週末繰り出すのも、年に数回のローマやパリなど都会への旅行もまたしばらくおあずけだし、かっこいい車を買うのもおあずけ。子供はかわいいに違いないんだろうし、彼女のために欲しいとも思う、けどまた最初からやり直すのか…という、ちょっとしたトホホ感があるのでしょう。
私もその彼の気持ちがわからなくもなかったし、でもまだ「家族になりたい」期間からの過渡期だったこともあり、この事実は受け入れるのにだいぶ時間もかかりました。
「子供は欲しいけど、君とはずっと恋人同士の気分でいたい」
これもまた前述したH氏の「これから第二の青春!」的期待から派生した発言ですが、特に繰り返し言われるようになったのは、いよいよ不妊治療を始めたころからです。
母親になった、もしくはなると自覚した瞬間から「女」ではなくなり、パートナーも「異性、男」ではなく、子供を作るための人材、父となる人、となってしまうことへの危機感がなぜかH氏は強く、不妊治療に入れ込み過ぎてしまうのも、この恋人同士という二人の関係がもっと機械的、実務的なものに変化してしまうので恐いのだそうです。なんというか西洋的といいますか…。
さらに「君に限ってはそんなことはないだろうけど、子供が出来て激太りする女の人とか、正直その彼氏やだんなさんが気の毒でしょうがない」とか!「なんで子供を生むとみんなショートヘアにするんだろう。母親になったからってセクシーさを捨てる必要はないのに」とか!!「君みたいな人は子供が出来てもちゃんとメイクをしてワンピースやヒールの靴でおしゃれして出かけるんだろうな。僕はそんな君が誇りなんだ」とか!!!言いたい放題です!!女が身体をとことん犠牲にして子供を生み育ててるってことがわかってない、男の妄想め!首締めてやりたいです…。
愛されているのはわかる。でも…プレッシャー半端ないっす…!(これを読んだ女性の大半をH氏は敵に回すはず…)
そんなわけで、長くなりましたので、ここまで前編とし、次回「ま、いっかー」の後編へと続きます。
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ある秋の日にHareskovといううちから30分くらいの森に焚き火をしにいってきました。
Æbleskiverという丸いパンケーキを焼いて、ココアを飲んで、秋のヒュゲ。アウトドア野郎のH氏はこういうの大好き。
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ココさんは相変わらずいつでも食べ物を狙ってます。
「家族の中の私の立ち位置って?家族になりたい」
2011年春頃、H氏宅へと引っ越し3ヶ月が経ち、隔週でやってくる息子達との関係にも少しずつ慣れてきた頃。普通の家族と違って、同じ家に住む義姉家族や近所に住む義母など、完全にH氏家族に囲まれての生活で、みんな本当に温かく優しくしてくれるんだけど、完全にアウェーな気分は高まる一方。
共通の思い出がない、家族の歴史を知らない、私以外はほぼみんな血のつながりのある家族、もしくは子供達がまだ赤ちゃんの頃から知っている人達。彼らは私の家族は背景を知らない、興味がないわけではないんだろうけど、きっと遠い外国のことだし、漠然とし過ぎててイメージもつかないんだろうけど。とにかく、周りにもよく言われるし、自分でも思うけど、まあよくそんな完全アウェーな家族の中に飛び込んでいったな、と感心します。
でもこの頃はとにかく「家族」というのがつらかった。息子達のこともすごくがんばってたけど、がんばればがんばるほど、「それでも家族ではない、私のものではない、私は彼らの一部にはなれない」という気持ちもありました。
で、子供が欲しくなった、と。もちろん、大好きなH氏との子供が欲しかったわけですが、家族の中でどうしても時々痛感してしまう孤立感を子供をつくることで、どうにかしたかった。H氏家族と自分をつなぐためにも子供が欲しかった。
なので、まだ同居して間もないのに、子供ほしくて、という私に一部の友人達は「まだ早いんじゃない?そんなに焦らなくても大丈夫だよ~」となぐさめてくれたものですが、新しい環境と家族とに慣れるのに必死だった私は、今思うとけっこうヒステリックな反応をしていたと思います…。H氏とも「結局はあなたは子供達を、私ではなく家族を絶対選ぶ」と、絶望的な喧嘩をしたものです。
とにかく自分の立ち位置が不確かで、それで子供が欲しいとかって、自分勝手な動機だったなーと。しかもあるとき日本人のお友達で、ご近所に義両親が住んでいる人と結婚し、子供が生まれた方にそんな話をしたら、「でも子供生んでもその感覚って変わらないよ。むしろ孤立感はもっと強くなるかも。だって自分の子供ですらむこうの家族と血がつながってるんだもの」と。彼女はある日仕事が遅くなって家に帰ったら、子供を含む自分以外の家族が一家団欒をしているのをみて、ふと切なくなったそうです。それを聞いて、ふーむ、なるほど…と妙に納得したものです。
「私が望むものは、彼にとってはエクストラ」
息子達との夏休み3週間南イタリアのバカンスを終え、旅の中で喧嘩したり泣いたり仲直りしたりして、ぐっと距離が縮まった息子達との関係。ようやく「家族になりたい呪縛」から少し解放され、H氏も「よっしゃ、じゃー作るか!」といよいよベイベープロジェクトも本格始動。
しかし超ありがちなことに、妊娠なんて本気になればすぐできるものと信じ込んでいた(というか自分が難しいタイプとは想像もしていなかった)ので、毎月生理が来るたびに「なんで?!」と、がっかり&そして悔し泣き(?)。そんな妊娠を望んでいた女性なら誰でも理解できるつらい中、H氏に言われた言葉が「でもたとえできなかったとしても、僕たちにはTとA(息子達)がいるんだし、それで幸せだと思うことにしよう?もちろん、君は彼らの本当の母親ではないわけだけど…」と。それはもう、私の脳みそがWi-fiでネットにつながってたら、瞬時にSASの日本行きフライトをオンラインブッキングしていたであろうほどのショック、そして怒りでした…。
バツイチ子持ちとの再婚は、自分が彼との子供を望むとき、たとえ彼が子供を作る事を賛成して喜んでくれていたとしても、それはエクストラの子供、前向きな表現をするなら「ボーナスチャイルド」でしかないのだと悟った、悲しい時期でした。
またH氏にとっては、元奥さんと離婚して、T3歳、A1歳半の幼児を隔週ごとに一人で9年間育て、やっと子供達もそこまで手がかからなくなり、新しい彼女もできて、さあこれから恋人との時間を楽しむぞ!という時なのです。そこに終ったばかりの「ヒステリーな妊婦の対応」、「赤子の泣き声で寝れない日々」、「山のような洗濯物とおむつ替え」を新しい彼女と繰り返すわけです。気楽に街へ週末繰り出すのも、年に数回のローマやパリなど都会への旅行もまたしばらくおあずけだし、かっこいい車を買うのもおあずけ。子供はかわいいに違いないんだろうし、彼女のために欲しいとも思う、けどまた最初からやり直すのか…という、ちょっとしたトホホ感があるのでしょう。
私もその彼の気持ちがわからなくもなかったし、でもまだ「家族になりたい」期間からの過渡期だったこともあり、この事実は受け入れるのにだいぶ時間もかかりました。
「子供は欲しいけど、君とはずっと恋人同士の気分でいたい」
これもまた前述したH氏の「これから第二の青春!」的期待から派生した発言ですが、特に繰り返し言われるようになったのは、いよいよ不妊治療を始めたころからです。
母親になった、もしくはなると自覚した瞬間から「女」ではなくなり、パートナーも「異性、男」ではなく、子供を作るための人材、父となる人、となってしまうことへの危機感がなぜかH氏は強く、不妊治療に入れ込み過ぎてしまうのも、この恋人同士という二人の関係がもっと機械的、実務的なものに変化してしまうので恐いのだそうです。なんというか西洋的といいますか…。
さらに「君に限ってはそんなことはないだろうけど、子供が出来て激太りする女の人とか、正直その彼氏やだんなさんが気の毒でしょうがない」とか!「なんで子供を生むとみんなショートヘアにするんだろう。母親になったからってセクシーさを捨てる必要はないのに」とか!!「君みたいな人は子供が出来てもちゃんとメイクをしてワンピースやヒールの靴でおしゃれして出かけるんだろうな。僕はそんな君が誇りなんだ」とか!!!言いたい放題です!!女が身体をとことん犠牲にして子供を生み育ててるってことがわかってない、男の妄想め!首締めてやりたいです…。
愛されているのはわかる。でも…プレッシャー半端ないっす…!(これを読んだ女性の大半をH氏は敵に回すはず…)
そんなわけで、長くなりましたので、ここまで前編とし、次回「ま、いっかー」の後編へと続きます。
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ある秋の日にHareskovといううちから30分くらいの森に焚き火をしにいってきました。
Æbleskiverという丸いパンケーキを焼いて、ココアを飲んで、秋のヒュゲ。アウトドア野郎のH氏はこういうの大好き。
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ココさんは相変わらずいつでも食べ物を狙ってます。