平方録

ケイワタバコの群落

第5日曜日というのは珍しく、今年は3、5、8、11月にある。
第1と第3、第2と第4とがセットと言うのはよくある組み合わせで、しばしばお目にかかる。つまり、2週に一度というわけだが、第5はおまけのようなもので、「お休み」などと無視されてしまうこともなくはない。
円覚寺の日曜座禅会は第1と第3が横田南嶺管長による「伝心法要」という禅の語録の提唱を、坐禅を組んだまま1時間にわたって聞く日である。
第5日曜日があったお陰で来週も続けてこの講義を聴くことが出来る。
今年は4回得をする勘定なのだ。

私は配られるテキストに時折目を落として文字を確認する程度だが、ノートとペンを持ちこんでメモを取る熱心な人も、中にはいる。
悲しいかな、最近はわが記憶媒体装置の劣化が著しいと見えて、提唱が終わって大方丈の外に出ると、話の中身は大方忘れてしまっていることもしばしばである。
しかし、記憶媒体から消し飛んでしまってはいるが、それは細かな部分を含めた話で、何となく大筋の大筋、柱1本くらいは残っているから、かろうじて良しとしているのである。

記憶に残らないということは、そもそも身に付けたとしても、所詮は無用の長物なのであって、何の役にも立たないだけなのだと言い聞かせるようにしている。
まあ、負け惜しみに近いけれど…

しかし、昨日の提唱に至っては、提唱の中身はまったくとってよいほど覚えていない。
提唱が始まる前の純粋な坐禅の時間を含めて1時間半、ただ足を組んでいただけである。
何せ、昨夜は地震でJRが長いこと止まってしまったおかげで帰宅が遅れ、寝床に入ったのが零時半ころ。起きたのが午前4時だから眠いことおびただしい。
足を組んで座っていて、ちゃんと薄目を開けていればよいのだが、ちょっと油断して目を閉じてしまうと、すぐに睡魔が忍び寄ってきて、背骨をぐらつかせるのである。
しっかりと座っていることに集中するしかなく、耳と記憶媒体にまで集中力は行き届かなかったのである。

円覚寺の修行僧になると、しばしば「○○攝心」とか「××大攝心」といって、わずか1、2時間、しかも座ったままでしか寝る事が許されないで坐禅を繰り返し、その合間に提唱を聞く修行に打ち込む1週間があるそうだが、想像を絶する。
ひたすら足を組み、じっとしているというのは辛いものだ。
そうした修行を経た人とそうでない人に差があって当然なのである。

在家の人の修行道場である「居士林」の左手の小道を上っていくと「龍隠庵」という塔頭がある。
山門や仏殿などの伽藍が並ぶさまを見渡せる眺めの良い場所だが、ほとんどの観光客は素通りして行く。
その小道沿いの崖にイワタバコの群落があり、図鑑で調べたら正確には「ケイワタバコ」というらしい。葉に腺毛があって、普通のイワタバコに比べると葉の照りが際立っている種類である。
ちょうど紫色の星型の小花をびっしりと咲かせていて、見事である。

南東を向いた崖で日当たりが良いのだが、崖の途中から水が染み出ていて、しかも頭上を樹木が覆っているため、木洩れ日程度でほど好い日陰になる環境がお気に召しているらしい。
鎌倉の少なくない寺でイワタバコは根付いているが、円覚寺にもあったのである。
良いものを見させてもらった。






円覚寺の「ケイワタバコ」の群落
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