内出血で紫色に膨れ上がっていた指先などは、だいぶ以前のように戻りつつあるが、複雑骨折した肩は理由は良く分からないが治療が出来ないでいる。
様子を見ているのか、医者もはっきり言わないのだそうだ。
切断もあり得るというのだから、尋常ではない。
骨折する直前まで一緒に酒を酌み交わしていた“第一当事者”にとっては心穏やかではいられない。
心なしか元気がないように思われたのも気がかりである。
晩年に差し掛かって度々辛い目に遭われているだけに、気の毒でもあり、例え肩の動きが悪くなっても利き腕の右腕だけに、切断だけは何とか避けられないものかと、切に願うのだ。
大先輩にとっては辛い年の瀬である。
版画の年賀状は既に出し終わり、印刷で済ます儀礼的な賀状の印刷も終えて、あとはちょっとした文章を添える作業だけが残されている。
これはぼちぼちやればいい。
何度も刷り重ねる必要のある版画の手仕事と違って、パソコンで作成する賀状は何とも便利で、楽チンである。
あっという間に裏面のデザインが出来上がり、宛名の印刷まで、あっという間に終わってしまったのだ。
比較的暖かい冬至で、木々にしがみついていた葉っぱも散ってしまっている。
葉がない分、明るくなった庭に出て見たら、木の根元に植えてあるスイセンが1輪咲いている。
他にも蕾が膨らんでいたから、次々に咲いてくれるはずである。
花の近くまでかがんで香りを嗅いでみたら、あの独特の強い芳香が鼻腔をくすぐってきた。
深々と冷え切った部屋に入って、活けてあるスイセンから部屋中に充満している香りを嗅ぎ取ることがあるが、そういう時は真冬も悪くは無いなぁと思うのである。
スイセンに限らず、暖房の効いた部屋で嗅ぐ香りと、じっとして動きのない清冽な空気の中で嗅ぐ匂いとでは、例え香りの元は変わらなくえも質が違ってくるのである。
谷崎潤一郎は日本家屋の光と陰で「陰翳礼讃」を書いたが、匂いで日本文化の神髄を描いたものがあったかどうか。
あれば読んでみたいものだが、どうなんだろう。
夏の終わりに種を撒いて育ててきたパンジーが花をつけ始めたし、暖かいベランダに置いてあるキンレンカはいまだに朱色の花を咲かせている。
例年のことながら、霜に当たるまで咲きつづけるはずである。
一部のバラにはまだ蕾をつけたものもあるが、もったいなくても年内にはすべて切り落とし、来年の初夏に備えさせなければならない。
暖冬予報の出ている今冬だが、どんな春がめぐってくるのやら。

庭に咲いた1輪のスイセン



キンレンカとパンジー