前日の一昨日を加えると5本となり、今日もどこかで放送が予定されているらしい。
嬉しいことで、日本のテレビ局は分かりやすい番組構成をしてくれるものだ。
逆に1本も放送しない局には「薄情もン!」と言いたい。
1日中雨が降っていたし、どこへも出かけず、午後1時の「海峡」と6時半の「遥かなる山の呼び声」の2本をじっくり楽しんだ。
放送時間がかち合っている他の2本はビデオに撮って後日見ることにした。
「遥かな…」は倍賞千恵子の母親と幼い男の子の2人が暮らす北海道の牧場を舞台にしていて、アメリカ映画の「シェーン」を彷彿させるような作品。山田洋二が監督だから、寅さんの渥美清が牛の人工授精の獣医師役でちょこっと登場したりして、すっかり山田組の映画になっていた。
「海峡」は東宝の周年記念作品だからか、森重久弥や吉永小百合を筆頭に豪華な顔ぶれの俳優がずらりと出演していた。
その昔、サユリストのはしくれのはしくれくらいのところにはいたから、オトナになった吉永小百合の姿は懐かしかったねぇ。
実を言うとやくざ映画にはまったく興味がなくて、その手の作品は見ていないが、30代になると周囲から「顔つきや雰囲気が高倉健に似ている」と言われたのがきっかけで、やくざ映画から抜け出し始めていた健さんの映画を見るようになったのである。
しかし、「健さんに似ているって言われるんだ。どお、似てるだろう」などと仕事仲間などに同意を求めると決まって恐ろしい顔をされるか、嫉妬するような表情を向けられ、首をすくめたものである。
同世代の多くは“我こそが健さん”と思い込んでいた節があるから、その思いを否定するような存在は断じて許せないのである。
そう察して、あまり口にしないようにしているが、妻は「そうね、似ているかも」と言う。
「幸せの黄色いハンカチ」とか「鉄道員」とか、健さんの演技は素晴らしいが、何冊か残している随筆も面白い。
味があるというか、取り上げる話題がその人の個性のひとつなのだが、その目の付けどころがキラリと光るのである。
例えば「南極のペンギン」という題名の本に収められている「奄美の画家と少女」。
もしや、と思って読んだら、案の定、奄美で隠者のような生活を送りながら絵を描きつづけ、生前はまったく評価されなかった田村一村と言う画家とらい病隔離病棟に隔離されている母親に会いに来る少女との交流を描いた文章。
こうした孤高の画家の存在に気付き、少女の存在に気付いて心を動かされ、それを文章に書き記すという感性が好きである。ふ~んと聞き流していないのだ。
ははぁ、タカクラケンと言う役者は、こういう心根の人物であるのか、と納得がいくのである。
書き残された文章は映画の配役になりきっての演技ではなく、人物の個性そのものがそこに現れているという点で、「地」なのである。
「あなたに褒められたくて」という本に収めらた「胡椒のお風呂」には、ある役者への徹底的なイタズラの数々が書き残されていて、そこまでやるかい、と言うくらいなのだが、みんなでいたずらを楽しんだ後にどんなフォローをしていたのか、そこは一行も書いていないところが健さんらしいなぁ、と思うのだ。
表題の項目は健さんの母親に対する思いをつづったもので、あんなに颯爽とした格好良い男が、いくつになっても母親への思慕を忘れないでいるところを、包み隠さなず表現しているところも、好ましく思えるのだ。
文は人なり――という。
昨日、ゴールデンフラッシュと言う名の黄色いバラの苗を買ってきた。混じりけのない鮮やかな黄色が特徴の四季咲きのバラである。
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