この収集作品の中から数十点が鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館で展示されているというので、出掛けてきた。
建長寺を創建した蘭渓道隆とか円覚寺の開祖・無学祖元とか、高校時代に日本史を選択した人なら聞き覚えのある禅宗の高僧の肖像画やその墨跡の数々が展示されている。
少々、禅に興味を持っている身には身近に感じられる展示である。
無学祖元の肖像画は薄く消えかかっていて表情など良く分からなかったのが残念だが、説明文によると柔らかな顔をしているそうで、指導法がまことに懇切丁寧で「老婆禅」と呼ばれた、などと言うのは初めて聞いた。
元寇の襲来を乗り切った執権・時宗をはじめとする鎌倉武士たちが、優しい老婆のような指導をする無学祖元に就いて禅を学び、帰依して行ったという光景は鎌倉武士というイメージからは、なかなか想像しにくいところがある。
この祖元は元軍2度目の襲来となる弘安の役のひと月前に再来を予知し、時宗に「莫煩悩」(わずらいなやむことなかれ)という書を与え、さらに「驀直去」(まくじきにされ)と伝えたんだそうな。
「驀直去」とは「何事も計画中は大いに悩み、検討を加えるべし。結論が出たら真っ直ぐわき目も振らずに進んで行け」という意味で、自分自身でも、これまで随分とそういう局面に立って、実際そうしてきたつもりだが、時宗に与えた言葉でもあったというのは何か感慨深いものがある。
この祖元の言葉から、のちに「驀直前進」(ばくちょくぜんしん)という故事成語が生まれたんだそうな。初めて知った。
日本人は4文字熟語を好むが、この場合は3文字のほうが雰囲気が出てると思うけどナ。
国宝館を出ると境内には雅楽の静かな音色が伝わってきていて、舞殿では結婚式が行われていた。
わが長女の結婚式も同様に行われたのを思い出すが、観光客、わけても外国人が熱心に写真を撮っていた。
衆人環視の結婚式なのである。見ず知らずの人にも祝福してもらう結婚式でもある。
しばらく気に留めなかったのだが、風で倒れてしまった大イチョウの根元から出ていた沢山のヒコバエだが、行ってみると1本だけになっていて、それも高さは2メートルを超すくらいにまで育ち、枝を何本もピンと横に張り出した姿ですっくと立っている。
幹といってもまだか細いのだが、それでも目視で直径3、4センチにはなっているのだろうか、ヒコバエの中から“後継者”が決まったのである。
これがまた7、800年もすれば大イチョウとして後世の人たちの目を楽しませ、来歴を読んだ人たちの間から「へーっ!」と感嘆符が飛び交うに違いない。
横須賀線の電車はその頃も若宮大路を横切って走っているんだろうか…
大イチョウの子孫。右側の切り株は倒れた以前の幹。
鶴岡八幡宮境内舞殿の結婚式
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