♪立て万国の労働者♪などの音楽が、スピーカーから大音量で流され、林立する赤旗が薫風にはためく。
そういう中で労働組合幹部の勇ましいだけの長ったらしい演説を我慢して聞いていたのは、労働者の権利というものを大切にして、多くの仲間と連帯して守っていかなければならない、という思いからだったように思う。
演説が終わると、次は繁華街を抜けて街頭デモ行進に移る。
プラカードなどを持ってシュプレヒコールを繰り返しながら、テクテクと繁華街の車道を2、3キロ、デモ行進するのである。
企業も労働組合懐柔の下心があったためか、この日ばかりは仕事をしないでも出勤扱いにしていた。
そんなことも影響して、集会が終われば遊びに出かける魂胆もあって、子ども連れなども目立つ時期もあったのを覚えている。
労働者としてはもちろん、職業柄、仕事としてもこのメーデーには度々参加したものである。
かつては深刻な場面もあったのだろうが、高度経済成長下に成人した身にはお祭りとしてのメーデーしか印象に残っていない。
そのメーデーがどうして廃れていったのか、いつ頃からだったのか、明確な記憶がない。
今、労働組合の組織率など、ぐっと落ち込んでしまっているらしいから、その辺りも原因しているのだろう。
90年代の記憶はない。とすると、80年代までは続いていたということになる。
俳句の季語にも、春の季語として登場するくらいだったのに、既に過去の風景になってしまった。
金魚買って病むメーデーを豪華にす
雪残るメーデーへ来て加わりぬ
ごみ箱に乗りメーデーの列を見る
メーデー歌雪形の出る岳の街
21世紀の今日、日本には労働者っていないんだっけ。
昨日は、言葉で表現すれば抜けるような青空の、それこそ典型的な五月晴れで、真夏と同じ格好で自転車を走らせてきた。
小田原あたりまで行ってこようと思ったが、海岸べりに出て走ってみると、街中では心地よかったのに、進行方向左斜め前から吹いてくる南西風はことのほか強く、完全なアゲインストである。
普段は20キロ前後の速度でのんびり走るのだが、30キロ前後にスピードを上げて走ったので風当たりはさらに強まり、情けないことに大磯辺りでバテてしまった。
距離計は27キロ。残り20キロ足らずなのだが、引き返して平塚の花水ラオシャン本店でたっぷりのネギとチャーシューを乗せたタマネギの名物タンメンをすすって戻ってきた。
家に戻って太ももをさすっていたら、外側に張り出していた筋肉が知らないうちに細り、そのほかの筋肉も心なしか細くなっていることに気付いた。
余り負荷をかけないように、楽に走れるようなギア設定でペダルをこいでいるせいなのか。いくら楽にこぐって言ったて、力は入っているのにどうしたことか。
こういうのを「衰え」というのだろうか。
どうする。どうしよう…
わが家に咲くメイフラワー。和名はサンザシ。
茅ヶ崎の柳島海岸のハマダイコン
湘南海岸から見る富士山は霞んで頭だけ見えていた
花水ラオシャンのネギタンメン
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