「もう寝よう」という声がかからなかったらまだ延々続いていたに違いない。話は尽きないものである。同じような年頃で、どうやら第一線を退く経緯も非常に似通っている。しばらく会わないという空白はあっという間に埋まり、話が盛り上がるのは当然か。
団塊の世代はまだまだ元気いっぱいなんである。
この集まりは悪天候に遭遇しない。早朝から青空が広がり、日中はポカポカとした小春日和で散策にはうってつけの天気である。
一回目の元寇の後、降伏を求めて訪れた蒙古の使者を当時の執権北条時宗はたたき切るよう命じたが、その使者5人を祀った「元使塚」が片瀬の常立寺にある。江ノ島から橋を渡り、江の電の線路を越えるとすぐのところに、この寺はある。境内の目立つ場所に小さな五輪塔が5つ肩を寄せ合って並んでいる。横綱だった朝青龍や今の白鵬はどのような思いでこの塚に詣でたのだろう。
常立寺からすぐ近くの腰越には龍口寺があり、ここは鎌倉幕府の怒りを買い、斬首されそうになった日蓮上人ゆかりの寺である。日蓮宗にとっては聖地とも言える場所だろう。五重塔を持つ大きな寺である。
寺の立っている龍ノ口は鎌倉時代の刑場があったところ。血なまぐさい歴史を刻んできた。
こうした歴史に由来するわけでもあるまいが、寺の前をS字に急カーブして走り抜ける江ノ電の電車は、この刑場跡の前を通る時、車輪とレールの軋む苦しそうな、悲鳴のような音を残して通り過ぎて行くのである。
江ノ電の線路に沿ってさらに鎌倉方面に進むと腰越駅を過ぎたところに満福寺が立つ。ここは義経が壇ノ浦に勝利した後、鎌倉に入ろうとして果たせず、兄頼朝に自分の気持ちをしたためる手紙を書いた寺である。世に言う「腰越状」はここで書かれた。真言宗のこじんまりした寺である。堂内には紙芝居のように襖絵で悲劇が描かれている、美術的な価値は如何か。
……と、それぞれ出来事の年代は前後しているが、いずれも鎌倉時代の史実を辿り、海岸沿いを歩いて辿りついたのがイタリアの崖地の景勝地を名前にしたレストラン。崖の上にあるテラス席からは相模湾が睥睨できるので、近年とみに人気が高い。小春日の陽光を浴びて薄物一枚になった一行はピザとパスタとサラダと赤ワインを堪能し、デザートとコーヒーまで2時間にわたって席を占拠し続けたのである。案の定、外には長蛇の列が出来ていた。
来年は月山や最上川の舟下りを堪能すべく山形へ行くことに決まった。時期はサクランボのシーズンである。
相模湾を一望するテラス席での食事は気持ち良い
江ノ島島内、児玉神社から見た朝日
小さな五輪塔が5つ肩を寄せ合う「元使塚」
龍ノ口の刑場跡にあるイチョウ
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