この居士林は在家の人々の禅修行のための道場で、元はと言えば東京にあった柳生流剣術道場を、禅を学んでいた柳生徹心という人が昭和の初めに寄贈したものと言うから、移築されてからでも90年近く経っている。
板張りの広い道場の両端を一段高くして畳敷きにし、坐禅を組む場所にしている。道場内は薄暗く、夏でもひんやりしていて、床は黒光りしている。
この建物の中に入るのは、実に49年ぶりである。
1966年7月、夏休みが間近に迫ったころ、学校を休んで10日ほどここで坐禅三昧を経験した。
勝ち進む予定だったサッカーのインター杯予選にあっけなく敗れてしまって目標を見失い、このまま受験勉強など嫌だなあと思っているうち、「そうだ、円覚寺に行けば坐禅が出来る」と電話をしたら、受け入れてくれたのである。
なぜ座禅か、と言えば、禅を海外に伝えた鈴木大拙の書物を時々めくっていたし、大拙が禅に励んだ寺が円覚寺だったのである。
頭の片隅に「自分と向き合う」ということ、良く分からなかったが「無」とか「空」という概念に、青臭い憧れを抱いていたことも動機のひとつかもしれない。
当時は横浜に住んでいたから、さして時間をかけずに行けたのである。
振り返ってみれば、たった10日で帰ってくるのではなく、一夏を座禅に打ち込んでいれば、また別の人生になっていたのではないかと思うのである。
そこまで思いつめてもいなかったし、真剣さはなかった。振り返ってみれば、そこが自分自身でも物足りなさを感じるところなのだ。
第一線を退いた今、当時の気持ちが蘇ってきて、「自分と向き合ってみるか」と思うに至り、昨年8月から日曜座禅会に通い始めたのである。
時間はたっぷりあるのだから、今度こそ居士林に住みついてでも、と思わねばならないところだろうが、生来の意気地なしと見えて、49年前と同様、そこまでは踏み切れずにいる。
加えて、高校時代よりも身体が固くなってしまっていて、満足に足が組めないのである。従って、長く座っているのが辛い。
坐禅の第一歩は自分自身の呼吸を見つめることで、丹田に気持ちを集中させて静かに長く息を吐き、また、静かに長く息を吸っていく。
その先は、呼吸をしていることも忘れて“没我”の境地に達していくようなのだが、とてもそんなところまで行きつかぬ。
呼吸は浅く、姿勢にも無理があるのだろう、30分もすると肩はこって痛くなってくるし、もちろん足も痛い。
加えて、集中して呼吸を見つめなければいけないにもかかわらず、必ずと言ってよいほど、別のことが頭の中を支配し、あれやこれや実にくだらないことを思いめぐらしているのである。
1年前に思い立った当初は、せめてひと月ぐらい居士林から出ないで没頭して見ようかと考えたが、ちょっとお試しと思って日曜座禅会に行ってみたのだが、こんな体たらくでは、あの厳粛なところでの坐禅三昧などとてもかなわない。身の程知らずというべきなのである。
自分でも情けない限りだが、悲しいかなそれが現実で、居士林の敷居は高いままだったのである。心の中の壁を乗り越えられないのである。
半世紀ぶりの居士林内部は当時と少しだけ変わっていて、両端以外は板張りの床だった中央部分にも座れる場所が作られている。おそらく参禅者もぐっと増えたとみえる。
特に円覚寺は管長以下、禅の普及に力を入れていて、毎週末には在家の人々が座禅を体験できるように門戸を大きく開き、若い女性も含めて結構賑わっているのである。
それはそれ。
自分としては現状の体たらくは体たらくとして、初心に帰り、せめて深く静かな呼吸が続けられるように、自分の呼吸を客観的に感じられるようになるまで、今しばらく続けて行こうと思っている。
それにしても、頭の中から若い女性の白い太ももが消える日が来るのだろうか、とは思うけれど…
円覚寺居士林の佇まい
日の出から40分ほど経った2015年の夏至の太陽
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