講師の顔など拝むべくもないようなブラインド位置にも人が座っている。
はっきりした数字は分からないが、1000人は超えていると寺側はホームページに書き記している。
初日は700人だったそうだから、4割強も多い人気ぶりである。
開講1時間前の7時半の開門に合わせて円覚寺に行ったのだけれど、着いた時には初日と同じく、北鎌倉駅の改札付近まで行列が出来ていた。
この日はことのほか中年以降の年齢の女性が目立ったから、「置かれた場所で咲くために」と題して講演した渡辺和子さんを目当てにはせ参じた人も少なからずいたようである。
私は寡聞にして知らなかったが、岡山にあるノートルダム清心女子大学の理事長さんである。
聞いて驚いたのだが、9歳の時に陸軍教育総監という要職に就いていた陸軍大将の父親が2.26事件で、家の中に踏み込んできた青年将校らによって43発の機関銃の掃射を浴びて絶命するところを至近距離から見ていたそうである。
大変なトラウマを背負ったことだろう。
並みの神経の持ち主であったなら、傷の深さにへこたれかねない。
しかし、その後の歩みは例え想像を絶するようなものであっても、現に乗り越えてきた1人のシスター、教育者として光輝いている。
「どんなにつまらない仕事をさせられたとしても、そこでやりがいを見いだせられるはず」
「そうすれば、それは意味のある仕事に変わり、さらにやりがいは増していくものなのです」
「人は環境の奴隷になることもできるし、環境の主人になることもできる。ならば環境の主人になりなさい」
「第一、嫌々やっていれば人間の顔はどうしたって不機嫌な顔になります。不機嫌な顔や態度は環境破壊です!」
これらの話には共感できるところが多いにあった。
私も若いころ、なんてつまらない仕事だろう、何で俺がこんなことをしなければいけないんだ、などと思わされたことは1度や2度ではない。
人後に落ちないほど仕事をしたと思っても、左遷もされたし、大いに呪ったものだが、その度に、一つだけ肝に銘じていたことがあった。
「みんなが嫌がるそのつまらなそうな仕事で光ってやる」「オレが仕事の新たな道筋をつけてやる」と思って取り組んだ。
そう心構えを決めてしまえば、その達成はそれほど困難でもない。勤務時間には集中し、ちょっと工夫を凝らしてみれば済むことである。
意思のあるところに道はできる。
今年88歳だというシスターはまったくかくしゃくとしていて、声にも張りがあり、初めて見知る人だったが、黒の修道服姿は神々しくもあった。
「信仰は持つものではなく、生きるものでなければいけない」とも言っていた。
言葉の一つ一つをメモに書き残そうと、必死にペンを走らせている人の姿も随分と目についた。
1次元目の横田南嶺老師の無門関提唱は中身が抽象的でチンプンカンプン。
まったく頭に残っていない。もっとも本題について語ったのは最後の10分くらいで、大半をシスターの話やら「仏とは何か」などに費やしたから、当然と言えば当然かもしれない。
3時限目は小泉八雲の研究者で翻訳本も多い池田雅之早大教授の「小泉八雲と夏目漱石の鎌倉」。
これは一般教養を聞くような、気楽な気持ちでゆったりと聞くことができた。
昭和史の生き証人や夏期講座 花葯
夏目漱石が参禅した円覚寺境内の帰源院山門
山門の扁額に「源帰○○」とある
残念ながら門の中は非公開である
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