平方録

円覚寺夏期講座初日

西の方でまだ明けていないところも多いのに、それらを飛び越えて関東甲信の梅雨が明けたそうだ。
平年より2日、去年より2日、それぞれ早い。
梅雨開けを心待ちにしていた身には何よりの朗報である。
嬉しい。暑さよ、どんと来い。ギラギラ照りつけてもらいたい。

円覚寺の夏季講座は今年で80回目である。
昭和10年から始まったそうだから、戦争中も休まずに続いたものらしい。
もっとも鎌倉は京都や奈良と並んで空襲を受けなかったから続けられたのだろう。
第一、講師を務めてくれるような人物は鎌倉にゴロゴロいたはずである。

早朝こそ雲が多かったが、講座が始まる8時半にはその雲もどいたらしく、太陽がカッと照りつけてきて、座っている大方丈の真ん中にも緑の強いコントラストが飛びこんでくる。
1時限目の横田南嶺老師による無門関提唱の時には、畳に座っている人々の頭上をオニヤンマが1匹、悠々と飛翔したりもして、再び外にスーッと出て行った。
境内の妙香地で孵ったばかりなのだろう。まさに梅雨明け本番である。

それにしても日本人の勉強好きには驚かされる。
朝のうちはまだ幾分涼しいとはいえ、700人もの人が詰め掛けたのにはいささか驚かされた。私は初めて参加したのだが、もちろん大方丈には収容しきれず、庭にテントを張って席とモニターを用意したり、さすが80年も続いてきただけのことはある。
季語集に乗っているくらいだけれど、夏期講座というのは日本人にとって媚薬みたいなものなのかもしれない。つい手を出してしまう魅力があるんだろう。

横田南嶺老師の提唱は「無門関」。
その第21則。

雲門屎橛

雲門、ちなみに僧問う、如何なるか是れ仏。
門云く、乾屎橛。

(乾屎橛「カンシケツ」とは紙の代わりに大便をふき取った板のヘラのこと。糞かきベラ)

禅宗の一派である中国の雲門宗の開祖とされる雲門にひとりの僧が、仏とは何か、と質問した。
雲門の答え。糞かきベラベラである、と。

“仏とは糞かきベラである”とは常識的な観念を打ち破るための比喩だが、この数行を説明するのに45分もかけるのだから老師の蘊蓄も半端ではない。ふむふむと聞いていたので、カンシケツは覚えた。

2時限目は登山家の田部井淳子さん。75歳だそうだが、張りのある早口で、1時間強。経験そのものの中身が濃いから、話の中身は必然的に面白くて引き込まれる。
これまでまったく縁がなかったが、女だけのシャンソンのリサイタルもやっているそうで、エネルギッシュさに驚かされた。

3時限目は鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司。「日本文化の深層」というのがお題。どういう切り口で迫るのか興味深かったが、神道の源流は縄文時代に遡ることが出来る、という話には、なるほどなと感じ入るところがあったが、残りは駆け足で消化不良。
全国でも例のないさまざまな宗教の、しかも宗派も越えた横断的な組織を鎌倉に作って、毎年東日本大震災の犠牲者のための祈りをささげている鎌倉宗教者会議の言い出しっぺで会長を務めている人である。

3時限目ともなれば太陽の高度も上がり、朝のうちのさわやかな空気もどこへやら、大方丈の人いきれもあって自然の風だけが頼りの内部はさすがに暑かった。

オニヤンマ飛び入り参加の夏期講座 花葯



昨日はまだ開き切らなかった赤紫を帯びた茶系統の朝顔が今朝は開いた。2番目の花だが、目にするのは今夏初である。


円覚寺の伽藍の上に広がる梅雨明けの青空


夏期講習初日。受け付け開始の午前7時半前には北鎌倉駅改札口まで列が伸びていた
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