小さく生まれた赤ん坊ゆえ、最初は泣き声もか細かったが、その声も次第に太くなってきて、顔にも表情というものが生じ始めてきた。
首が据わらないのが面倒で、一度も抱いたことがなかったが、今日を限りに帰ってしまうと言うので、抱き上げてみた。
ちょっとむずかっていたものが、抱き上げて腕の中で揺すってあげると機嫌を取り戻すところなどは、赤ん坊も心得たものである。
将来のスポンサーに愛想を振りまいておこうという魂胆と見た。
なかなか、したたかなところもあるようである。
そのくらいでなければ、昨今の住みにくさが増す日本では生きていくのも大変であろう。
途中5日間は姫も泊まりに来ていたし、その喧騒が過ぎ去って夫婦2人の生活に戻ってみると、若干の寂しさというものが漂うのは仕方ないことか。
四六時中と言ってよいくらいに泣き声を聞いていたのだから、それもムべなるかなである。
入れ替わりに、山形の友人のところの初孫は今日、病院を退院して友人夫妻の家にやってきてしばらく過ごしていくそうな。
初孫は女の子で、愛おしさと慌ただしさで、ようやくやってきた春がずんずん深まって行くように、立ち止まる間もなく、時が過ぎ去って行くことだろう。
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
蘇東披の「春夜」である。
春の夜は、ひとときが千金に価するほど。
花には清らかな香りがただよい、つきはおぼろにかすんでいる。
高楼の歌声や管絃の音はにぎわいも終わって、今はかぼそく聞こえるだけ。
人けのない中庭にひっそりとぶらんこがぶら下がり、夜は静かにふけてゆいく。
この漢詩がぴったり当てはまるような春である。
この間、姫の母親に2人目が出来たらしく、つわりがひどく、卒園した姫の面倒をろくに見られないというので、泊まりに来ていたのである。
長女が帰って行ったので、妻は転戦である。手伝いに行ってあげなくてはと張り切っているのである。
姫の小学校の入学式準備も怠れない。
こういう忙しさは大歓迎である。春の芽ぶきと競争である。心弾む忙しさと言ってよいだろう。
特に妻の張り切りぶりが際立つのである。
姫の入学式は4月10日である。楽しみにしていた父親は生憎、海外出張と重なって出席できないため、ぜひ出てほしいという意向のようである。
それならば、と妻と2人で参列することにした。
娘2人の入学式には1度も立ち会ったことはないから、自分の入学式以来である。
1955年以来、60年ぶりの小学校の入学式である。
自分自身は小学校の入学式のことは覚えていない。
正確に言うと、どんな風な式だったのか、式そのものをまったく覚えていない。
しかし、式が終わって、自分たちの教室になる部屋に入って机の前に座って先生が来るのを緊張して待っていると、痩せぎすのキリっとした顔の女の先生が、確か高井先生と言った、その高井先生がさっそうと教室に入ってきて、いきなり戸棚の戸をかがんだ姿勢でガタピシ閉め直したりしてから、こちらに向き直ったことだけ覚えている。これは鮮明な記憶である。
そして、高井先生はグレーのツーピースを着ていて、唇が薄くすっと伸びた美人だったと思う。
もう一つの記憶は、毎日毎日、朝の決まった時間に登校するのではなくて、ある日は朝から、ある日は昼ごろから学校に通ったのである。
ベビーブームの真っただ中。教室が足りず、校庭に掘立小屋のような、今でいえばプレハブ校舎だが、粗末な仮の建物が出来ていて、それでも教室が足らないので「ニ部授業」とかいう午前と午後に分かれた窮屈な小学校生活のスタートを切ったのである。
翌年に、この小学校から分離独立して建設が進められていた新校舎が自宅近くに完成して、ようやく2年生から正常な時間に授業を受け始めたのである。
忘却の彼方から、そんなことどもが蘇ってきた。

いつもの場所で、気がついてみれば、既に土筆がこんなに群生していた