平方録

人が造りし原始林

明治天皇を祭る神社を建て、隣接する荒れ地に全国からの献木10万本を植えて100年。
正確には95年だが、大雑把に「100年の森」と呼ばれている明治神宮の森を吟行した。

この森を認識したのは、わずか5、6日前のことで、この場所が吟行場所に決まったあと、偶然にわが家のビデオの中かからNHKスペシャルで放送された「明治神宮の森」という番組があるのを見つけたことがきっかけである。
そもそも、明治神宮に出掛けること自体が多分2度目のことで、結婚前の妻と大晦日に出掛けて行った記憶がかすかに残っているくらいだから、はるか40数年前のことである。
神社のすぐ脇を電車が通っているので、傍目に広そうな森に包まれたところだと言う程度の認識しかなかった。

そのNHKスペシャルを見て、この人工の森が100年を経て原始の森に帰ったということを知って、驚いたのである。
原始林と言うのは人の手が入らないからそう呼ばれるのであって、人の手によって造られたものが該当するものかどうか。
現在専門家たちの手によって大がかりな調査が進められているようだが、既にオオタカが生息していることが確認されているほど、自然の豊かな森になっているというから、人が立ちいらず、手もつけずに森のなせるままにしておくと、森は自然に帰っていくようである。
「自然」と言うものの持つ力の不思議さ、強さ、奥深さ、などという言葉が浮かんでくるくらい、その力は計り知れないものなのだ、というべきだろう。
 
秋たけなわの午後3時過ぎの森にさしかける大きく西に傾いた太陽の光は既に弱々しいが、それがまた森の奥深さを際立たせるようでもあり、“神域”と言う場所を盛り上げているようにも感じられた。
「清正井」と言うものも覗いてみたが、実にきれいな水が湧きだしているものである。
人はここをパワースポットだとか言って特別視する向きもあるようだが、自然が持つ人を引きつける魅力に溢れた、清冽な水の湧き出すところであることは間違いない。

70万平方メートルの広大な森のうち、公開されているのはごく一部だけだが、100年経った木々の背丈はとても高く、深い森は空を隠してしまっている。
人間には原始林を作り出せる能力が備わっているのだ、と言うことに気付かされた、ある種の感動を覚えた吟行だった。


わが提出句。兼題は「無花果」。

 無花果に白き液あり失楽園

 無花果や集まる虫の渋好み

 ウイスキー数滴垂らす熟柿かな

 送り手の顔もおぼろに秋刀魚かな

 秋澄むや人が造りし原始林

「白き液」の句は、キリスト教の世界で“人間の原罪”ともされているアダムとイブの神話に想を得たもので、我ながら、なかなかの出来栄えと自負していたのだが、理解してもらえなかったようで、がっかりである。
読解力がなぁ… 



清正井


外国人も含めて大勢の参拝客で賑わっている



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