山形に暮らす友人夫妻が生家で生った柿を渋抜きして送ってくれたのである。
それも大きな段ボール箱にぎっしり。小ぶりの柿だが100個以上ありそう。
夕方届いたので、夕食に赤ワインを飲みながら4、5個も食べてしまった。
本来ならヘタをとったところにウイスキーを数滴たらして食べると、一層うまいのだが、この日はどうしたことかウイスキーが空っぽ。楽しみは先延ばしである。
一品だけ許されるとしたら、今際(いまわ)に何が食べたいか。
そんな週刊誌の特集記事を大昔に読んだ記憶があるが、僕の場合は断然「熟柿」。
板をかじるような柿は論外。熟した柿が良い。わけても、スプーンでしゃくって食べるようなトロトロになった熟柿にとどめをさす。
熟した柿の甘さは実に上品である。雑物が入っていない美味しさ、と言い換えてもいい。
色も実にきれい。黄色から朱色までグラデーションがあって、透き通るようで見た目にも美しい。
口に運ぶ時に感じる匂いだって、ほのかに香り立つような奥ゆかしさがある。
こういう柿は舌触りだって、喉ごしだって滑らかなのである。
英語ではpersimmonと綴り、イタリアなどでは多く生産されているようだが、原産は東アジア。
沖縄では見かけず、北海道など寒いところでは栽培が不向きだそうだが、それ以外の日本各地で葉がすっかり落ちてしまった枝に朱色の実がたわわに付いている柿の木のを見つけると、しみじみと秋を実感するのである。
農家の軒先などに縄で結わえた柿がすだれのように吊り下げられている光景も大好きである。
朱色という色は高く澄みきった真っ青な空に映える色合いなのだ。
秋も深まってもぎ取られることなく枝にぶら下がっている実をみつけると、もったいないような気もするが、旅をしている時などは風情を感じさせてくれる重要な小道具の一つのようでもあり、枝に残された朱色の実というのは印象的である。
「てっぺんの枝の実は鳥たちのため、手の届く枝の実は旅人のために残し、木の持ち主はそれ以外の枝の実を収穫すればよい」という文章を昔読んだことがある。
一本の柿の木を例に自然と分かち合うことの意義を訴えた話と受け取ったが、そういう思いやりが、かつての日本には存在したのである。
サクランボの産地から届いた柿
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