平方録

馬っ鹿は死ななきゃ…

昨日、福島第一原発事故をめぐる「吉田調書」スクープ記事の取り消しが妥当だったかどうか朝日新聞社内でもめているようだ、と書いた。そうしたら、今朝の朝刊に検証を委ねていた「報道と人権委員会」という社内に設けられたも第三者機関が見解をまとめたという記事が載っている。

斜め読みだが、「記事取り消しは妥当」という結論を出している。
「報道内容に重大な誤りがあった」「公正で正確な報道姿勢に欠けた」とし、「批判や疑問が生じても迅速に対応しなかった結果、信頼を失った」というのがその根拠のようだ。

記事は「所長命令にそむいて所員が福島第2原発へ撤退」しちゃったことに主眼を置いていたが、明確な命令が出されていたわけでもないようだから、ここは確かにミスリードというか、行きすぎた表現だったと思う。
表現がついつい行きすぎてしまう、というようなことは記事にする過程で時たま起こりうるものである。
調査報道ともなれば、時間的な制約はあまり気にせずに、じっくり検証しながら進めることが可能だが、それでも思い込みというものは付きまとう。

だから調査報道のような場合は複数の記者で、複数のフィルターを通すようにしている。今回の担当者は2人だったようだ。
ところが、記事が掲載された後、批判や疑問が出た時点でも、2人以外に件の吉田調書を読んだ人物がいなかった、と第三者機関は報告している。
これはにはちょっと驚いた。

普通の感覚を持って報道機関に勤務しているならば、批判された時点で「おい、念のためちょっと調書を読ませろ」とデスクや部長は言うもんである。もっと偉い人もそう思うはずである。思わなくちゃいけない役回りなんである。読んでみてこそ、批判や疑問が当たっているかどうか判断できるのである。批判されても、疑問をぶつけられても、それはしていなかったというんだから、驚くというより、あきれる。
信頼していたから、というのが理由だそうだが、馬っ鹿じゃないの ! と言いたい。
それゆえに問題解決が遅れ、世間の信頼を失ったという。当ったり前だろ。

馬鹿は相手にしたくない。ま、朝日の再生を期待しましょう。

ところで、重大な誤りがあったにせよ、公正さを欠いていたとしても、記事取り消しというのは異例ではないか。
いまさら訂正で済ませられるような事態ではない、訂正で済むタイミングはとっくに逸している、という第三者機関の判断が見え隠れするのである。
そんなことをすれば、混乱に拍車がかかる、と。
危機管理は迅速に、というのが鉄則である。そんなイロハすらできない組織だったということか。

今回の出来事を他山の石として、昨日も書いたように、地域に根付いて地道に歩んでいる地方紙の諸君に頑張ってもらうしかない。
自覚してくれよ。山椒は小粒でもなんとやら…だ。頼むぜ。


8月中旬に種まきしたパンジーがここまで育ってきて花をつけ始めるものが出てきた。青と黄色のモルフォという種類がわが家のもの。他の種類は横浜イングリッシュガーデンから頼まれて蒔種したもの。葉に黒い点が付いているのが気になる。
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