去年は横浜馬車道のミシュラン一つ星の天婦羅屋に行き、ホテルニューグランドのバーに寄って「モヒート」を飲んで帰ったのを思い出す。
今年もどこかに出かけて美味しいものでも食べる? と聞いたら「家でいい」というので、近くの肉の卸売店で100g2000円のちょっと上等な牛のヒレ肉を150gづつ買ってきてステーキにした。
インターネットで美味しい焼き方を調べ、その通りにやったのだが、さすがに肉そのものが上等なだけあって、今まで食べたステーキの中で一番おいしかったように思う。
どのように美味しいのか。テレビに出てくる表現力に乏しい芸能人のコメントと同じにならないように注意して表現して見ると…
まず、レアに焼いたのだが、ナイフを入れた断面の薄い白と赤みの差したピンク色の美しいこと。
つぎに、閉じ込めておいた肉汁がじわっ~とたれてきて、如何にも食欲をそそること。
ようやく運んだ舌の上では複雑な味が広がる。複雑さゆえの混乱、倒錯、恍惚感、そういったものが次から次に押し寄せてくる不思議さ。何が言いたいんだ? 抽象的でさっぱり意味不明である。
芸能人を笑えないか。
しかし、肉の旨みとは本当のところは何なのか。だれもイノシン酸が良く滲み出ていてこれは格別な肉ですな、などとは言わない。
グルメを気取るチャラ男のような奴が「う~ん、これはグルタミン酸が50%、干しシイタケから出るグアニル酸が27%程度…、しかもこれほどのグルタミン酸を出すの昆布の産地は利尻と言うより、太平洋側の知床でしょうな」などとしたり顔で言ったら張り倒されること請け合いである。
でも昨日の肉のいくつかの旨みの中からはっきり感じ取れたのはほんのりした甘み。
そして、歯ごたえはと言えば、なよっとした柔らかさではなくて、腰のしっかりした柔らかさで、歯がす~っと肉をかみ切る。
う~む、いけない。どうにも稚拙である。
そうだ! ちょうど良い言葉があるではないか。「deyond discripsyon」。日本語では「筆舌に尽くし難し」。
家で採ったばかりの赤と黄色のミニトマトと緑のアスパラガス、ブロッコリー、赤ピーマンを添え、安物の赤ワインも肉のおかげでかえって引き立って、豪華な豪華な晩さんになりましたとさ。
余りに美味しくて、2人で何て美味しいんだろうと涎を垂らしつつ堪能する余り、写真を撮るのも忘れるほどでしたな。
「筆舌…」に加え、新たに「撮影を失念するほど」という言葉を新語登録した方がよさそうである。国語審議会か辞書編さん会社に今度提案しよっと。
こういう“美味しい”和牛に比べ、あのアメリカ中西部の町の人気店で姫と一緒に食べたステーキのまずかったこと。
文化の違いはあるにせよ、でかいばかりで、思い出すのもはばかられるほどである。
アメリカ人の舌というのは、口に出来さえすりゃあよくて、野生動物と変わりないんじゃないか。
そんな人種のいいなりになっちゃって、「日本を取り戻す」だってさ。姿勢も日本語もでたらめじゃん!
わが家のブラッシング・アイスバーグ
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