平方録

八幡さまのぼんぼり祭り

今日は長崎原爆忌。

広島には一度も行ったことはないのだが、長崎平和公園の原爆資料館には、なぜか3度も行っている。
最初は高校時代の修学旅行。
冬休みの北アルプスで消息を絶った国語の教師が「諸君!君らが長崎へ行くのはあの平和公園の出来の悪い彫刻を見るためじゃないぞ。目を見開いてしっかり見て来なくちゃいけないものがあるぞ」と言っていたのを昨日のことのように覚えている。

確かに原爆資料館の展示物は目を見開かされるものだった。
正視に堪えられないようなものも少なくなく、衝撃だった。
石造りの階段に残された人の形をした黒い影、シミのような影…
一瞬の熱光線によって、階段に座っていた人が溶けて石に焼き付けられたんだそうだ。
そんなことってあるのかよ…

今からちょうど50年前の話である。
その後も長崎に行くチャンスがあって、しばらく間があいた後の、もちろん平成になってからのことだが、足を運んでみて驚いた。
最初に訪れた時は、極端にいえば被爆当時のものをそのままガラスケースに並べただけのような陳列方法だった。
それが、妙に仰々しく飾り付けられた空間にポコンと置かれていて、効果を高めようというのか、変な音楽も流れる仕掛けに代わっていた。

例えば、熱風でひしゃげてしまった柱時計。
これを、周囲を黒く塗った空間に一つだけ置いてライトを当て、稲妻らしきもののようにも思える模様やら、被爆直後の写真を引き伸ばしたもので飾り立てているのである。
正直言って、原爆のすさまじい破壊力を、もの言わず伝えているのは、ひしゃげてしまった柱時計のはずだが、周りの装飾がうるさすぎて焦点がぼやけてしまっているのである。
それなりの効果を狙ってのことだとは思うが、逆効果にしか見えなかった。

一緒に行った長崎の友人に問いただしたら、完成当時、同じような指摘が相次いだが、賛否は分かれたという。
被害を深く伝えるには、素材の訴える力に委ねたほうが有効だと思う。
ただし、想像力が必要になってくる。
多感な少年少女なら、そうした想像力をかき立てるような見せ方のほうがインパクトが強いんだと思うが、あれでは安っぽいお化け屋敷の飾り付けのように思えてならない。

9日まで、鶴岡八幡宮の境内で毎年恒例のぼんぼり祭りが開かれている。
鎌倉在住の文化人や鎌倉ゆかりの人々が絵や書を書いたものをぼんぼり仕立てにしたもので、夏の恒例行事である。
昨晩、そぞろ歩いてきたが舞殿では日本舞踊なども披露されていて、本殿への石段は格好の観覧席になるとあって、外国人をはじめ、最上段までぎっしりの人だった。

心の奥底までは分からないが、十中八九はのんびりしたテーマのようで、それ以外にほんのわずかだけ、戦争反対の明確なメッセージを伝えているものがあった。それにしても数少ないのは物足りない。



鶴岡八幡宮境内で開かれているぼんぼり祭り



本殿から海の方角を見る。直下の舞殿では日本舞踊が披露され、階段に歯ぎしりの見物客





上から昆虫採集に熱中しているらしい養老孟司東大名誉教授、岡田武史サッカー元代表監督、山崎直子宇宙飛行士、句友の画家の作品


♪明かりをつけましょ ぼんぼりに
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