平方録

テンモウカイカイ ソ ニシテ モラサズ

それにつけてもアベなんちゃらの口から出る言葉の軽いことか。

昨日の長崎原爆忌。3日前の広島原爆忌で触れなかったことを各方面から批判された「非核3原則」。
一転して「核兵器廃絶へ向けて決意を新たに取り組む」などと語る言葉に真剣身は感じられない。
しゃべればしゃべるほど真実味が薄らぎ、遠のいていくかのようである。
核兵器廃絶を真剣に望み、悲惨な被害を繰り返してはならないと訴え続けている人々を、かえって愚弄するかのようである。
それほどまでに一つひとつの言葉が、どうしてあれほどまでに軽くなってしまうのかと、不思議に感じられるのである。
心に思っていない事柄を、機械的に読みあげているだけだからである。

心底思っているのなら、早速、開会中の国会で、核不拡散条約を批准したらどうだ。出来やしないだろうに。
不誠実でウソつきである。
「天網恢恢疎にして漏らさず」(テンモウカイカイ ソ ニシテ モラサズ)という言葉がある。
天が張り巡らしている網の目は荒いが、悪い奴は必ずひっ捕らえられる。天罰から逃れることはできない、といような意味である。
天はちゃんと見てくれているんだろうか。

昨日は久しぶりに円覚寺の日曜説教座禅会に行ってきた。
去年はそんなことは無かったのだが、今年の8月に限って日曜朝の座禅会は第2、第4の2回のみである。
奇数日曜日は管長が教本にそって行う禅の教えの提唱を、坐禅を組みながら聞くだけである。
雷のように打ち鳴らされる太鼓の音とともに始まり、時間にすると1時間半。休憩が入るわけではないから、みっちり座ることになる。
500人を超す人が集まる偶数日と違って、せいぜい100人前後しか参加しないし、真冬になると人数はもっと減ってしまうが、身がキリッと引き締まる。
そちらの座禅会は休みなのだから気の抜けたような8月である。

そして8月に入って初めての説教座禅会は相も変わらずぎっしりの人で大方丈が埋まった。
昨日は若干風があったが、広い部屋の四隅に扇風機が頼りなさ気に回っているだけである。
そういう快適とは言えない環境の中で、みんな熱心に横田南嶺管長の法話に耳を傾けている。
昨日の話は、若くして幼子を残して癌に逝った母親の話で、周囲には涙をこぼしながら聞いている人もちらほら見えた。
善男善女がはせ参じてくるのである。
何が積極的平和主義だ。権力者は憲法に縛られているはずだぞ。憲法を遵守しろ!

円覚寺境内にはフランス語が飛び交っていた。
それらに交じってイタリア語かポルトガル語のような言葉も。
南欧からの観光客なんだろう。禅寺をどのように説明されて見て回っているのだろうか。建物の外観と佇まいを見るだけなのだが、どのように映っているのか。
総門のところの飲料水の自動販売機に群がって、ペットボトルの水を一生懸命飲んでいるのが印象的である。
「ネッチュウショウ ニ チュウイシマショウ。ミズ ヲ ノミマショウ」とガイドに言われているに違いない。
太った人たちが一斉にペットボトルを空に向けて立てて、水をごくごく飲んでいる姿は微笑ましい、と言うべきか。




円覚寺黄梅院に咲くタカサゴユリ。そういえば、我が散歩道に去年見事な花を咲かせたタカサゴユリは、だいぶ前に草刈りされてしまって姿かたちどころか跡形もない。


在家の禅修行の場である居士林の茅葺屋根の葺き替えが終わったようだ


早朝、円覚寺へ向かうため自転車を漕いでいたら、アブラゼミが胸に止まってしばらく休憩して行った。夏が親しくしてくれているのだ。
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