観艦式に出席するくらいは文民統制の3軍の長なんだから目をつぶるとして、交代したばかりの米空母の甲板まで出掛けて行って胸をそっくりかえらせ、挙句に戦闘機のコクピットに座らされて喜んでいる図なんてものは、単なるノータリンとしか思えない。
見ているほうが恥ずかしくなる。
そもそもが、国を守ろうとするのに武力に頼ろうという考えが間違っている。しかも、世界一強力な軍隊の手下になっていれば、兄貴の力で敵なしでいられると思い込んでいる。
ホントに血がつながっている兄貴ならいざ知らず、押し掛け舎弟のような分際だってことをすっかり忘れちゃってんじゃないのかね。
そりゃぁ、兄貴、兄貴としっぽを振って従順にふるまっていれば、「愛いヤツ」と相手は悪い気はしないだろうけど、兄貴に命じられたら自分の意に反することにだって従わなければならなくなる。
そんな状態で、本当の意味で国を守るなんてことが出来ると思ってるのかね。
世界と違うことをして、つまり、火力武力でねじ伏せるのではなくて、時間がかかっても井戸を掘りつづけるような作業を、その地域の住民にピッタリ寄り添い、暮らしの向上の手助けして行ければ、そこの国の人々とは半永久的に仲良くできるというものである。
農業技術が低くて生産効率が上がらなければ、日本の優秀な技術を教えてあげて作物がたくさんとれるように導いてあげる。魚の獲り方や取った後の加工の仕方や保存の仕方などを教えてあげたら、それだけで日銭が稼げるようになる。
そういう一歩一歩の積み重ねが経済を潤し、人々の生活を向上させていく。
そんな基盤も何もないから、経済は振るわないし、貧しさから争いごとが絶えず起こる。
そんなところにノコノコ出掛けて行って、力づくで止めろと叫んでも、何も変わらない。元の貧しい状態に戻すだけだろう。
力が撤退すれば再び、何度でも争いが繰り返されることになる。
その度に出掛けて行って、1発何百万円か、数千万円もするようなミサイルやら何やらをぶっ放して人を殺し、とどのつまりは兵器産業が潤うだけの話じゃないの。
日本だけはそんな馬鹿げた行動に加わらないで、我が道を行くというのがこれまでだったはずだ。
知恵や技術という、人の暮らしに絶対役に立つものを携えて、辺鄙な場所にまで入り込んでコツコツと惜しみなく伝授してきたおかげで、さまざまな国々の人々からありがたがれ、尊敬もされてきた。
自衛隊を派遣する代わりに、技術を持った人々をこれまで以上に大勢、発展途上国に派遣すればいいと思う。それが日本の道であると信じているのだ。
武力を信奉しているだけの輩は気付いていないだろうが、ものを見る目のある世界の人々の間では模範的な国として映っていたはずである。もったいないことだ。
戦争法の制定を強力に求めてきたのが外交官たちである。
彼らは赴任先の人々が何を考え、何を一番望んでいて、日本には何を期待しているかなどと言うことには、まったく無関心で、欧米の野蛮人クラブの中に入って一緒にグラスを傾けることのみに関心を集中させているのだ。
「国益」などという言葉は好きではないが、敢えて言えば、世界の人々から尊敬を集める国を続けていくのか、それともこれまで辿ってきた日本を捨て去って野蛮人の仲間入りをするのとで、どちらがいいか国民投票すれば答えは決まっていると思うのだ。
それくらい日本の庶民は賢いと思っている。
しかし、選挙になればノータリン達のグループに投票しちゃうんだから、やっぱり間抜けで愚かな庶民なのかねぇ。
結局は自分たちの身の丈に合った人物しか戴けないのかもしれない。だとしたら…
日曜日の円覚寺・妙香池にアオサギが。参拝客のたくさん通るすぐ近くで池の魚を狙っていた。一度足を曲げ、首を伸ばしてスワッというところまで行ったが、魚は遠ざかってしまったようだ。
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