国宝館の雛人形は江戸時代の人形が中心で、大きくて豪華な享保雛が数多く並べられている。
ちょうど学芸員が解説してくれる時間に重なり、これ幸いと耳を傾けた。
興味を引いたのは内裏雛の並べ方。
現代では男の雛を向かって左側に置くが、これは日本が西洋化した後のことで、明治時代までは男雛が右側、つまり人形に置き換えると右隣に女雛が位置しているというのが定位置だったそうだ。
「左近の桜、右近の橘」といわれるように、古来、宮中では左が上位であったらしい。
それが西洋の王室では逆だったので、皇室が西洋式に倣ったものらしい。それを見て雛人形界が右へ倣いしたようである。
そうだ !
軍隊と云うところは知らないし、知りたくもないが、学校や警察で人が並ぶ場合「右へ倣い」して整列する。これが明治以前だったら「左へ倣い」だったんだろうね。
もう一つ興味を引いたのが人形の大きさの規制。
寛政の改革では、役人だけでなく、庶民にまで倹約を強要した極端な政策によって経済や文化が停滞をきたしたとされていて、当時流行していた享保雛と云う豪華で大きな雛人形も「八寸以下」にするよう規制されたそうである。25センチ以下ということである。
この政策ゆえに、江戸の職人気質は「芥子雛」という小さいながらも技を凝らした精緻な人形を生み出していくしたたかさを見せるのである。
庶民の心根、精神まで縛り付けることは不可能なんだよ。
この話で面白いのが、寛政の改革を率いた松平定信の態度。
家来や庶民には極端な倹約を強いる一方、この時期、わが子のためにはわざわざ新しい豪華で巨大な享保雛を作らせて娘に持たせたというんである。
あっぱれ。こうでなくては人が嫌がる政策を平気な顔をして行わせるということなどできるはずがない。
自分の身を別世界に置いてこそ、政治と云うものができるんである。
御触れ書1通を高札に張り出して、それで庶民も家来も黙って従わせておけばいいんである。
憲法もこれまでの積み重ねも無視して、やりたい放題にやるのも同様である。
勉強になった。
国宝館にたどり着く前に山道を下って極楽寺へ出た。江ノ電駅近くの小さくて如何にもみすぼらしい中華料理店が目当てである。
古びた暖簾と看板、狭い間口、中が見えないガラス戸。どれをとっても食欲を誘うには程遠い雰囲気なのだが、かねてより、妙に魅かれていたのである。
12時半。ガラガラと引き戸を引いて中に入った途端、驚いた。
客などいないんだろうと思ったら大間違い。狭いが清潔な店内にはテーブル2つに椅子8脚。狭いカウンターは椅子が4脚。これしかないのに、これしかないからか、座るところがない。
たまたまカウンターの先客が席を立つところで、座れたのだが、その後も客は次々と訪れる。
特製やきそばを注文したが、これが美味しかったんである。
妻が頼んだラーメンも懐かしい味の、如何にも中華そば風の味付けで、イケるんである。
餃子は皮が少し厚めで口に入れるとモサッとしている昔懐かしの味であった。
紹興酒の小瓶を頼んだら突き出しに出てきたのが、小アジの酢漬けで自家製らしく、酢はきつくなくてちょうどころ合い良く締まっている。
地元の客が次々に訪れるわけである。恐れ入った。
鎌倉国宝館の雛人形展
途中で出会ったタイワンリス。何やら食事中だったらしい
極楽寺の中華料理店と紹興酒と突き出しのアジの酢漬け
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