平方録

ノーベル賞教授の頭脳と精神世界

テレビの朝の情報番組にips細胞の山中伸弥教授が出演していた。
よくもこんな軽い番組に、それも朝早くから、と思ったが、先端医療研究のリーダーとして広告塔の意味も兼ねて、寄付集めの理解もしてもらえるように、先頭に立って努めているんだな、と解釈した。
口で言うのはたやすいが、なかなか出来ることではない。

司会者が視聴者からの質問を読みあげて「先生みたいな立派な人になるにはどういう勉強をしたらいいですか」とお決まりのことを聞く。
多分、質問した人や身を乗り出して聴き入る視聴者たち、特に母親たちは山中教授の言葉や小中学生時代の体験を、夏休みをだらしなく過ごしているわが子に聞かせてハッパをかけようとしたに違いない。
所があにはからんや「勉強はまったくしませんでした」とすまなそうに答え、「家が町工場だったものだから、分解して組み立て直すのが好きで、時計やおもちゃなど、片端から分解しては組み立て直していたが、うまく組み立てられないものも多くて、母親にはよく叱られた」とも。
これでは悪ガキと変わらないではないか。
お母さんたちの落胆ぶりが見えるようである。

おまけに「国語や社会は嫌いで、テストで零点を撮ったこともある」と言い、女性の司会者が「えっ、零点を取るのも難しいんじゃないですか」と聞いても涼しい顔である。
「でも算数、数学は好きで、テストでは問題を見るだけで答えが分かりました」と。これはもう次元の違う話である。
ここに至れば、わが子との違いは歴然で、ノーベル生理学・医学賞受賞学者とは比べるべくもないことが理解できたはずである。アーメン!

医学部に進学し、整形外科医として臨床医のスタートを切ったばかりの頃、まともな医者なら20分で終わる手術に1時間以上かかってしまうなど、手術が極端に下手なことが分かり、「ジャマナカ」ともあだ名され、患者さんと接する仕事などとてもできないと、臨床医の世界から挫折・逃亡して研究者の道を選び直したのだそうだ。
そしてアメリカで研究生活を送って日本に戻ってきたのは良いけれど、日本でまったく成果を出せずにいて、今度は研究者の道から逃げ出そうとしたそうだ。

逃げ出すにも理屈が必要だと考えて、土地を買って家を建てようとしたんだそうである。
家を建てればローンを返済するために今度こそ挫折せずに一生懸命に働くだろうと、仮契約まで済ませ、さあ、いよいよ本契約、という日の朝、普段電話などかけてこない母親から電話があった。
「昨日、お父さんが夢枕に立って『伸弥が土地を買って家を建てるそうだが、もっとよく考えるように伝えてくれ』と言うのよ。本当なの?」
驚いた山中教授は、本契約を1日延すことにしたんだそうだ。そうしたら翌日、その不動産屋がやってきて「山中さん、すみません。他の人に売れてしまいました」と詫びに来たそうである。

仕方なく家をあきらめたところ、ほとんど直後に、奈良先端科学技術学院大学からウチで研究しないかという誘いがあり、設備の整った素晴らしい研究環境の中で再出発できたのだという。
あ~ら不思議! この教授にしてこのエピソード。先端医療、先端技術とは真逆の世界の出来事ではないか。
驚いたなぁ。

両親からは「勉強しろ!」と言われたことがなく、塾には小学生の時に2、3カ月通っただけ。母親も働いていて、ほとんど放任状態でのびのび育ったんだそうだ
お母さんたち! 分かった? 




鎌倉・腰越の龍口寺の「龍の口竹灯籠」。2009年までは近くの境川で灯籠流しをしていたが、青竹にロウソクを灯し、終了時には来場者に持って帰ってもらう行事に変わったそうだ。5000基あるという。往時は花火大会も同時に行われたが、味気ない行事に変わってしまった。


相模湾上空に現れた2本の尾を引く大きな円形の雲


引地川の夕暮れ。夏の夕暮れにしては視程も悪く、ドロ~ンとして冴えない。
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