7人兄弟姉妹の4番目、三女で私の母のひとつ上の姉である。
今年3月に93歳になった。
私の母は53、4歳で亡くなっているから、その差は大きい。
兄弟姉妹を生んだ母親も96、7歳まで生きたから、随分と長命である。
伯母も「身体はどこも悪くないのよ」といい、多少耳が遠いが杖もなく歩くし、顔も身体もふっくらとしていて元気である。
多分母親を超えて百歳前後まで生きるのではないか。
60そこそこで亡くなったもう1人の姉を除いて皆90近くまでの生を全うしているから押し並べて長生きの家系である。
兄弟姉妹でこの差はどこから来るのだろう、と考えた。
母はやはり脳溢血で53か4で亡くなった父親の遺伝子を受け継いだのが短命の最大の原因かもしれない。
不思議なことにほかの6人も同じ血を引いているはずである。
長生きした5人に共通しているのはくよくよしない明るい性格で、のんびりした性格でもあるということが一番のように感じられる。
何たって正直で真面目、底抜けの善人と言ってよく、人を疑うことをしないし、でしゃばりもしない。決してくよくよしないで良く笑う。
加えて、もしかしたらこれも重要なことかもしれないが、連れ合いたちも同じように善人で、明るいのである。
夫婦で毎日明るく楽しく、のんびり生きると子どももそれに染まらざるを得ないから、家中朗らかに暮らし、必然的に長生きできるようである。
翻ってわが家はちょっと違っていた。
物心ついた頃からの母は、最初は舅の世話に疲れ、舅が亡くなってからは姑が同居するようになり、いじめられ、傷つく日々が続いた。
私が小児ぜんそくで苦しみ出したのもその頃からで、母がいじめられる様子を見聞きしていたことと無縁ではないように思う。
確か4年生の頃、母は耐えられなくなったのだろう、私を連れて2番目の姉の家に避難したことさえあった。
1週間か10日ほど。その間学校には行けず、裏の竹藪で1人で遊び、本を読んで過ごしたことを覚えている。
家の中は他の兄弟姉妹の家と違って暗くどんよりしていたし、父親は手をこまねいていた。長生きできないのも当然である。
さて、伯母は一度結婚したが失敗し、独身である。
生け花をやり、洋裁の技術を身につけて独り立ちしていて、際立っておしゃれであった。
写真に写っている伯母はいつもモデルのようなポーズをとって微笑んでいる。
いかにも明るく、朗らかで、おしゃれだったから、子ども心には「スカしている」と映った。
ホームにいる今でも、美容院に出掛けて行って髪の毛を黒く染め、外出の予定がなくたって首にはスカーフを撒いておしゃれにしている。
生け花の師匠らしく、部屋のテーブルの上の花瓶にはユリ1輪とリンドウと観葉植物がさりげなく活けられていて、こぎれいである。
外出した時に買って帰るのだそうだ。
「子どももいないのに、あなたたちが時々来てくれて、すごく嬉しいの」「こういうところに入れて、のんびり過ごせてとても感謝しているの。ありがたいことだわ」「決して豪華というわけじゃあないけど、食事もまあ、おいしいわよ」などと、肯定的にとらえて暮らしているようである。
2、3年前の入所したてのころの不安そうな表情と比べ、妻は「随分とふくよかな表情になったわね」という。
くよくよじめじめ考えず、明るく楽しく、正直に生きていく、というのは大切な鍵のようである。
千葉駅前には湘南モノレールと同じ懸垂式のモノレールが、やけに高いところを走っている
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