ベランダに出て見ると降ってはいないが、既に床が濡れている。今日は昼過ぎまで雨らしい。
季節は二十四節気の「霜降」である。そして七十二候の「楓蔦黄なり」の気候になった。
もっともわが街の紅葉は12月に入ってからである。
霜降に入って、さすがに朝晩は寒くなってきた。身体がまだ寒さに慣れていないというか、寒さに十分対応できない分、余計に寒く感じる。
昨日はベランダのプランターの整備を始め、育ってきたパンジーの苗を少しばかり定植させたりしたが、ほんの4つばかりのプランターを仕上げただけで、作業は未完である。
もう年で、などとは言いたくはないが、現実問題、大きくて重いプランターは春の盛りには花が一斉に盛り上がって咲いたりすると、それはそれは見事と言うほかないのだが、こいつを動かすのがちょっと厄介になってきた。
少し前までなら、気合を入れて持ち上げて運んでいたものだが、今そんなことをしたらたちまちぎっくり腰になって動けなくなるだろう。
情けないことだが、それが自然と言うものなのだろう。自然には逆らえないのである。逆らってはいけないのである。
で、ダウンサイジング化に踏み切ったんである。この大型プランターの半分以下のサイズに徐々に変えていくつもりである。
小さなサイズのものでも、くっつけて並べれば大型のものと同じような効果が期待できるはずである。頭は使いよう。分離・連結型ですナ。
と、話は簡単なのだが、事は右から左にすんなりは行かない。土がたっぷり入った4、50キロはあるプランターをどう処分するか。
まず、不要となる大型のプランターを2階のベランダから下に降ろさなければならない。
当然、土をかい出し、小分けにして下まで運び、最後にプランター本体を下におろす。
一部の土は新しいプランターに混ぜるとして、養分を吸い取られてしまった残土をどうするか…。難題なのである。
水に流せればいいのだが、そうもいかない。空気中に蒸発でもしてくれないだろうかと、あり得ないことを思ったりする。
ダウンサイジングも案外大変な作業なのだ。
まぁ、冬が来る前までに、少しずつ作業して行こう。他にすることもない身である。
性格的には、一旦こういう作業を開始すると、終わるまで一気呵成にやらないと気が済まない質だったが、今そんな気持ちはさらさらない。
と言うか、出来っこないのである。不可能になってしまった。
ここは徐々に徐々に進めるしかないんである。
こういう心境をどう表現したらいいのか。どう説明したらいいのか。「観念」とはこういうことを指すんだろうか。
こうして時々、自分をよそから眺めているような、これまでに余り味わったことのない感慨を抱くようになってきた。一種の変化と言ったようなものが訪れて来ているようなのである。
獨坐敬亭山 李白
衆鳥高飛盡
孤雲獨去閑
相看両不厭
只有敬亭山
独り敬亭山に坐して
衆鳥は高く飛びて尽き
孤雲は独り去りて閑かなり
相い看てともに厭わざるは
ただ敬亭の山有るのみ
自分は山を眺め、山は自分を眺めている…。厳粛な態度で自然と向き合っている…。
冬に接ぎ木して育てているブラッシングアイスバーグに秋の花が開いた
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