後で調べたら外気温は10度前後だったようだから、北風を受けながらの身体には、それ以下に感じられていたはずである。
現役時代なら10度と言うのはコートを羽織るかどうかの判断基準のひとつだったのだから、季節は深まってきたと言える。
晴耕雨読は望むべきところだが、部屋の中の温度は低いし、じっとして読書などするのも寒くて震えそうである。
昼間に暖房をつけるのは、どうにもはばかられる。ヤセ我慢するしかないのか…。
朝飯を食べている間に一計を案じ、風呂の火を付けた。
こういう陰気でうすら寒い日は“温泉”に限る。それも朝風呂である。
ラジオを持ちこんでトーク番組を聞きながら8時半から10時過ぎまで浸かっていた。
どうやら同じ番組だったらしく、どおって言う話ではないが、時々聞き耳を立てたりしていたから、まんざらでもなかったのだ。
テレビが詰まらない分、ラジオの方がましのような気がする。
湯の温度を39度に設定したから1時間半はゴクラク、ゴクラク。
しかも、小ぶりのグラスながら焼酎のロックも持ち込んだのである。
小原庄助さんの気分である。もっとも潰せるような身上も持っていないから気が楽である。
小ぶりのグラスで物足りなくなった時のために、風呂場のドアの外には焼酎の瓶を置いておいたが、さすがにそちらから注ぎ足すことはしなかった。
庄助にはなりきれないのだ。気が小さいんである。
酒もいいけれど、朝風呂の第1等は何といっても湯に反射する明るい朝の光で、朝日が燦々と降り注ぐ明るいところで湯につかるのが気分良し、なのだ。
しかるに、どんよりと低く垂れこめた雲から光はわずかしか届かず、曇りガラスながら大きな窓があるのに薄暗い浴室では最上等とは言いかねる。
電気をつけてしまったら夜のいつもの風呂場と変わりない。
それでは“脱日常”の気分が味わえぬ。状況設定と言うのは大事なんである。
夜はBSのテレビで映画「居酒屋兆治」を見る。
高倉健はシブイ。格好いいなぁ。つくづくそう思うね。
特にファンではなかったけれど、大原麗子もきれいで可愛かった。ちょっと影があってね。
健さんのルーツは鎌倉幕府の最後の執権・北条高時に行きつく。と言っても高時本人ではなく、姻戚関係にあった腹心の一人で、幕府滅亡の折、高時と一緒に腹を切って果てたのだが、逃がした妻子が最終的に逃げ延びたのが九州北部だったそうである。
鎌倉武士の血が健さんには流れているんである。
11月10日が命日である。
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