平方録

知の難しに非ず…

月曜日のしかも昼前のスーパー銭湯が混みあっていることや、江ノ島沖に1週間の休漁期間が設けられていること、山形県米沢市の小野川温泉に冬の間だけ「豆もやし」というのがあって、シャキシャキと美味しいことなどなど、初めて知る事実にいろいろ直面して、正直面くらったり、目からうろこが落ちるような気がしたりしている。
まぁ、ぼんやり過ごしていれば、どれも「えっ !」などと思わないような事柄ばかりのような気もするが、気付いてしまえばそれなりに新鮮な驚きなのである。
42年間続けた仕事柄、普通の人よりは世間の様々なことをよく知っているつもりでいたが、案外知らないことばかりのような気がしてきたのも、新たな発見なのである。

何を知っていなければならないのか。
鎌倉幕府の成立年? 因数分解? 論語? ダーウィンの進化論? 相対性理論? 異性の心理? …? …?
生きていくために必要な知識あれこれ、などという答えではもちろん不十分だろうし、答えとしてつまらない。
考えてみると、案外難しい質問なのである。
逆に、知らなくてもよさそうなことはたくさん身についているような気もする。
マージャンの点数の数え方なんて最たるもので、知らなくてもよさそうだが、知らなければ誤魔化されてしまうし、やっぱり覚えるんである。こんなもの普段の生活には何の役にも立たないシロモノであるけれど。

人によって受け止め方は違ってくるのだろうが、社会の現象、庶民の暮らしぶり、その動向などに注意を払ってきたつもりの身には、月曜日の真っ昼間からス-パー銭湯が大賑わいだということなどは正直言って“事件”である。
この事例なども知らなければいけない、と言うほどのことでもないだろうが、知っていても良い事柄であるような気もする。
政治を担っている人たちや新聞記者さんたちには、特に知っておいてもらわなければならない事柄だと思うが、どうだろう。

知識と言うものを得るためには一定の感度が必要な気がする。
感度が悪くてぼんやりしていれば、見えるはずのものも見えなくなるんじゃないか。
何事も見て知って認識するところから始まるんである。
もっとも、見えていても見えないふりをするのが得意技の人種もたくさん知っている。
物事を真正面から直視するというのは実に大事なことなんだが…

「知の難しに非ず、知に処するは即ち難し」

韓非子の言葉で、知識を得たり、本質を理解したりするのが難しいのではなくて、得たものをどう処理して使うのかが難しい…ということを言っている。
何とかとハサミは使いようと言うけれど、「ハサミ」の代わりに「知ること」とか「知識」を充てたい。
でも、それ故に情報を操作して騙そうと試みる輩も大勢いることを忘れてはいけない。特に権力が集中している辺りは、そういう危険がいっぱいである。
このことは42年間さまざまに痛感させられてきた。知りたいことが制限されるという変な法律も施行されてしまったし、これからますます気をつけなくてはいけない。

この法律によって国民が無知にさせられてしまう恐れが出てきたんである。
無知はいけない。さまざまな犯罪を生んできたのも「無知」というキーワードで分析されることも少なくない。
無知は判断を誤らせるのである。これは肝に銘じておかなければならない。

一方で、新しい知識を得ることは十分刺激的だし、何より楽しいことである。知の難しに非ず、だしね。



わが家の庭のスイセン
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