しぐれが降るようになるころ、ということらしい。
万葉集にはいくつか歌が残されていて、平安の都人が好んで取り上げた題材である。
さーっと降っては晴れる通り雨を言うが、紅葉を濃くする雨でもあり、散らしてしまう雨でもある。地方によっては冬支度の合図でもあるようだ。
冷たい雨なんだろうが、昔の人は趣を感じたに違いない。心を揺さぶられたんだろうね。
黄葉を散らす時雨に濡れて来て君が黄葉をかざしつるかも
春日野にしぐれ降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ高円の山
時雨の雨間なく降りそ紅ににほへる山の散らまく惜しも
旅人と我名よばれし初しぐれ 芭蕉
古と違って現代の気象はずっと激しい。情緒どころか、どーっと降って災害をまき散らされるのは困りものである。
昨日のポカポカ陽気と打って変わって今日は雨の予報である。どうせなら古の人々が愛でた「時雨」というものを降らせてもらいたいものだ。
さて、わが家近くに今も健在の田んぼの稲刈りがようやく最終章に近づいたようである。
腰のすっかり折れ曲がった爺さんが刈り始めたのが今月の16日。この間、1人で細々と作業をしていたのだが、ここ一両日、女性の助っ人を見かけ、昨日はついに、男衆が2、3人出て刈り穂を干すための丸太の干し場が完成した。
たった2枚の田んぼである。なんと2週間もかかったのだ。
慌てず騒がずマイペースでことを進める。これはこれで見上げたものである。
干し場は県道へ出る道端にあり、実のたっぷり詰まった稲穂が干された脇を通ると、乾燥したちょっと埃っぽいような藁の香りがして、稲などには縁遠い都会暮らしの身には、十分季節を感じさせてくれるのである。
同じ道沿いに、もう2枚の田んぼがあるが、持ち主が違うらしく、こちらはまだ手つかずである。気になる。
干し場が出来上がりつつある
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