電車を乗り継いで鎌倉に戻ってきた夜、特段風が吹いていたわけでもなく、雪が積もっていたわけでもないのに「えっ、寒いな!」と感じた。
昨日の日曜日、曇り空だったが風もないのに薄ら寒くて気分は良くなかった。
気温はと見れば最低気温はせいぜい朝方でも2、3度である。米沢では-13度という日があった。昼間の温度にしたって米沢で1、2度しかなくても不快な寒さではなかった。それが鎌倉で7、8度はあっても寒くてたまらない。かみさんも「このダウンジャケット着て歩くと汗ばむのに、今日は寒い」という。
江ノ島でバスを待っていたら、後期高齢者一歩手前と思しき男の集団が「寒い寒い、すっかり冷え切っちゃったな」などと口にしているから、だれしもが感じているようである。
どういうことなんだろうか。
風が1メートル吹けば体感温度は1度下がると言われる。しかし、昨日は風もなかった。
次に考えられる理由として、空気自体が冷え切っている、ということがある。晴れ渡った夜に地上の熱が奪われて冷える、いわゆる「底冷え」が理由のようだが、曇り空だったから放射冷却はあり得ない。実際、そういう底冷えを感じさせるような寒さとは少し違っていた。
そして寒さを感じる理由の3つ目は日差しがない、ということから感じる寒さというのがあるようだ。確かに、昨日は曇っていた。しかし、米沢でも晴れて青空がのぞいていた時間もあったが、概して太陽は隠れていた。
米沢のほうがよっぽど寒いはずである。事実、気温も低い。
米沢駅に降り立って、暖かかった新幹線から外の空気に触れた瞬間、知っている寒さとちょっと違うようなピリッとした空気を感じた。ブルブル震えてしまうような寒さというより、体の芯から凍えてしまうような寒さのように感じた。
しかし、そんなことはお構いなしに、テクテクというかザクザクと歩きまわっていたんである。
雪のあるなしに関係しているんだろうか。
雪があると例え気温は低くても寒く感じない…
そんなバカな、という気がする。しかし、この温暖な地に雪が積もった時などを思い起こしてみれば、確かにそれほどの寒さを感じないのも事実ではないか。
さすれば、雪を見ると人間は寒さを感じない。雪があるから寒いんだ、当たり前なんだ、と自己催眠をかけてしまって、寒さを感じないような防御システムが働く。寒くてもあきらめて寒くない、と身体に言い聞かせている…。
それこそ、そんなバカな、である。
新説。大発見 !
気温を感じるのは皮膚ではなくて精神である。
夏の暑さも冬の寒さも心のセンサーで測るものなのである。
暑いと思えばさらに暑く、寒くないと思えばちっとも寒くない。喝 !
情けないことに家に戻ってきて、これまで着たこともないセーターを余分に着てしのいでいる。暖かいはずの地に戻ってきたのに…
♪はぁ~るよこい、はぁ~やくこい !
いつの間にかアネモネの芽が出てきている
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