風は強いものの、やはり外はいい。第一、吸い込む海辺の空気がおいしい。
海に出て見ると風は一層強く、押し寄せる波も不規則に崩れている。海に浸かっているはずのサーファーの姿は無く、強風を味方につけることのできる腕自慢のウインドサーファーが1人、強風と荒波の海に挑んでいるだけで、海の上も浜辺もがらんとしている。
例年なら残暑が続いていれば9月に入っても海の家は開いているところが多いが、既に撤収作業が始まっていて、クレーン車やトラックが荷物を運び出しているのを見ると、わびしさが漂ってくる。
海の家はどこも大赤字だろう。
今年の8月は前半こそ猛暑日続きだったが、遊びに来ていた姫が帰った17日から真夏の太陽は姿を消したままである。
太陽が姿を消せば、必然的に曇り空か雨模様だから、開放的な夏のイメージからは相当遠いと言わなくてはならない。
こうした天候がもたらすのは夏大好き人間の心に隙間風を吹かせるだけでなく、われわれの実際の生活にも著しい影響を及ぼし始めている。
曇りや雨ばかりの空模様の下では野菜が育たない。そのために近頃野菜の値上がりが目立つ。
夏野菜に影響が出るくらいだから、米の作柄にも少なからず影響を与えているに違いない。
困ったことだ。ものには程度というものがあるが、中旬から続くこの空模様は今週はもちろん、来週もずっと続くらしい。被害はさらに広がってゆくだろう。日本を覆う空気に似て、何ともうっとおしいことである。
世論の「戦争法案」に対する厳しい視線は相変わらずのものがあるし、むしろ反対のうねりは強くなっているように感じられ、アベなんちゃらの高圧的態度にも一時の勢いはなくなりかけているように見える。
参院特別委での審議も滞りがちで、廃案まであと少しのような気がするのだが、何とかならないものか。
お得意になった「白紙撤回」の3連発というのをぜひ見せてもらいたいものである。
ある憲法学者によれば、従来続いてきた政府の憲法解釈を根本から断ち切って、これまでにない解釈を突如持ち出して法の安定性を損なってしまう行為を法学上はクーデターと定義するんだそうだ。
血こそ流れてはいないが、主権者である国民との契約書であるはずの憲法を一方的に破り捨てた報いは受けてもらわなければならない。
日本に根付いた民主主義を侮ってはいけない。
一国平和主義と揶揄されようと、まず極東のこの地域から平和を作り出し、富を貯え、その富と知恵を使って徐々にではあっても、それを広めていく壮大な試みに挑むのである。
従来から続けてきたことだが、これを契機に国是として武力の代わりにこれを全面的に打ち出して世界に出てゆく。
武力で血を流して一時的な鎮静を得ても長続きするわけがない。平和を長続きさせるのは人びとの豊かな暮らしである。貧困をなくし、貧困から来る争いを断ってゆく戦列に加わるのだ。
その次は相互理解の積み重ねによるトラブルの防止。
その壮大な挑戦の先頭に日本が立つことこそ「積極的平和主義」なのだと信じている。

今朝5時過ぎの朝焼け

昨日の湘南海岸。浜辺では海の家の撤収作業が続き、海の上ではたった1人だけが波と風に挑んでいた。