平方録

美人女医さんとのお別れ

十数年間、わが右足裏の踵付近に居座り続けてきたイボの一種が、余りに大きくなり、歩くと痛みを感じるまでになってしまったことがきっかけで、皮膚科の門をたたいたのが3月。
思いがけぬ美人の先生が現れて、うっとりした気分で身を託して治療を続けてきたが、その甲斐あって、足裏は魔法がかけられたように、見違えるようにすべすべときれいになった。
わが足裏ながら愛おしく、届くものなら頬ずりしたいくらいで、まさに完治である。

ひと月前に治療した後の経過を見守ってきて、約束の診察日。雨の中をとぼとぼ歩いて行ったが、美人先生、診察室に入ってくるなり「あ~ら、○○さん、お久しぶり!」と声の調子も変わって、とても医者が患者に対する声のトーンではない。
とても愛想がいいのである。漏れ聞こえてくる他の患者に対する声のトーンとは明らかに違うのだ。
何が言いたいかって、これ以上は書かなくたって分かる人には分かるし、あれこれ説明しても分からない人には到底理解は不能だろう。

そして患部を診た感想は「まぁ~、きれいになって!」と大きな声で心底喜んでくれているようなのだ。
帰り道にあの態度はどういうことかと考えて見たが、患者の立場に立っての感想と、自らの治療の腕前の見事さに自分自身で感心したのさ、という二つが浮かんだ。
まあ、両方の気持ちがこもっていたのだろう。でも、この感想の後「わざわざこの雨の中を来ていただいて、申し訳ありません」などと恐縮したり、いたわってまでくれるのである。

振り返ってみれば、治療も終盤に近づいたころ、患部の回復ぶりを見ながら「このまま完治してしまって○○さんにお会いできなくなるのはさみしいわ」などと口にするのである。
医者と患者の会話ではないんである。
そう言えば、日曜日の休診日にモノレールに乗っていたら視線を感じ、ふと眼を上げると美人先生がにっこりほほ笑んでいるではないか。
高校生のようにドキンと胸が高まったが、すぐに下車駅に着いてしまい、そのまま会釈して降りてしまった。

しかし、治療の実態は些かオーバーに表現させてもらえば、過酷を極めたのである。
治療方法は患部のイボにドライアイスを10秒間押し当て、それを10回繰り返すのである。
最初のうちはイボのかさぶたのようなものが表面を覆っているので、大した痛みは伝わってこなかったが、回を重ねるごとに患部が小さくなり出すと、昇華温度マイナス79度という冷たさは凶器そのもので、患部に押しあてられると我慢できないくらいに痛い!

ひどい時には2、3日経って傷口が落ち着くまで、歩くこともできなかったほどなのだ。
「ちょっと荒療治だったかしら」などと平然と口にし、美人は残酷だという言い伝えは見事に的中していたのである。
その罪滅ぼしで取り分け優しくしてくれたのかもしれないが、ともかく不思議な体験を積みながら、わが足裏が赤ん坊の足のようにつるつるすべすべ、きれいになったのは美人先生のおかげである。

楽しみが一つ消滅してしまった。
秋の山に分け入って、鎌倉の山に多いハゼでも触ってこようかなぁ。あの木はかぶれやすいんである。





実るほど頭を…。近所の稲が頭を垂れ始めた。刈り入れは遅く、確か11月頃のはずである。
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