ここらあたりは相州鎌倉郡字手広艸庵の札下げて籠りたり
夕日の中をへんな男が歩いていった俗名山崎方代である
茶碗の底に梅干の種が二つ並びおるこれが愛なのだ
一生に一度のチャンスをずうっとこう背中を丸めて見送っている
お隣に詩を詠む人が住んでいて見かけたものは誰もいない
東洋の暗い夜明けの市に来て阿呆駝羅経をとなえて歩く
生まれは甲州鶯宿峠に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ
留守という札を返すと留守であるそしていつでも留守の方代さんなり
新聞紙の上にすわってからっぽの頭の先を干している
ふるさとの右左口郷(むら)は骨壷の底にゆられて吾が帰る村
さびしくて一人笑えばちゃぶ台の上の土瓶が笑いだしたり
そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか
かけ去りし六十年の歳月を手のひらの上にのせて見ている
手のひらに豆腐を乗せていそいそといつもの角を曲がりて帰る
冷たくしとしと降る雨が小降りになってきたので長谷の鎌倉文学館へ出かけ、「生き放題、死に放題 山崎方代の歌」と題する展覧会を見てきた。小さい展覧会だが2時間近くも時が過ぎてしまった。
仕事にもつかず、したがってお金もなく、家もなく、妻もなく、それでも不思議と食べるものと酒だけは何とかなったようで、残されている写真には酒瓶と煙草をふかしている姿が多い。
「その日暮らしの私は、銭がなくなれば、トラックに体を積み込まれて行って、夕焼小焼が来るまで草を抜いておればよい。酒が飲みたくなれば夜の街に出かけて、立ちっぱなしで皿を洗って飲み代に替える。人間まったくこれといった働きがなくても生きている限り食べる権利があって、これはいのちの法則である」などと、買ってきた「青じその花」というエッセイ集にある。
肺がんで70歳で亡くなった。
寂しい歌も多いが、それでもなんとなく明るさが漂う。幼児の無邪気さを兼ね備えているかのようである。
鎌倉文学館と歌人・尾崎左永子さんの一文
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