平方録

思いがけぬ人

テレビの中で思いもかけなかった懐かしい人に出会った。
終戦記念日の前の日。普段は見ないNHKの9時のニュース。たまたまつけていただけの話だが、突然、画面に古い知り合いが現れた。極寒での厳しい抑留生活を送り、絶望の淵にいた人びとの間で歌われていた曲をめぐる話だった。「生きて日本に帰ろう」「頑張って生きよう」というのが歌詞の中身。「これを口ずさむことで頑張れた。ほんとに俺たちの気持ちを代弁してくれた歌詞なんだよ」「この歌がなかったら、生きて戻ってこれませんでしたよ」と生還者が口ぐちに証言する。
その証言者の一人がかつて働いた会社で入社直後に配属された部署の大先輩のSさん。1年間だけ一緒に仕事をしたが、年が離れていたせいもあって別段親しく話したこともなく、ご本人も「シベリヤ帰り」ということを話されたこともなかったようで、話題にもなっていなかった。覚えているのは謹厳実直そうに見えた立ち居振る舞いとピンと伸びた背筋。管理職にもならず、定年で会社を去り、その後は八ヶ岳の麓に移って暮らしている、と風の便りで聞いたことがある。そんな極限に身を置いた人だとは思いもよらなかった。おん年88歳。画面で見る限りかくしゃくとされていた。

「異国の丘」「いつでも夢を」など戦後日本の歌謡界をけん引して名曲の数々を生み出した吉田正さんが作詞作曲したものだという。
生前、吉田さん本人から語られたことのない歌が表に登場した訳は生還した抑留者の一人がテープに曲を吹き込んでレコード会社に送ったことがきっかけだった。白樺の皮をはいでその裏に五線を引き、休憩時間になるとちびた鉛筆を取り出して、音符を書き込んでいたという。食事のとき、同僚たちが収容されている棟を回っては熱心に歌の指導をしていた。それが広まっていったのだという。
歌で仲間を元気づけ、気力を奮い立たせる。歌にはそういう力があって、そしてそれを生み出す力のある人がその役割を果たす。それが声高に語られてこなかったところが、また良い。感動しました。

昨日は50分の特集番組でこの話を再構成したものを放映していて、それも見てしまった。これには訳があって、NHKのニュースを見ていた元社の元労坦で大先輩のKさんから電話があり、「君、S君が…。特集でやるからぜひ見ろ」とわざわざ連絡してきてくれたのだ。

思いがけないお2人の姿と声を、これまた思いがけないきっかけで見聞きすることになりました。真夏の夜の夢…


今朝の「空蝉」。今日も晴れて暑くなりそう
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