今日も横田南嶺老師の法話を聞く。禅の語録に「伝心法要」というものがあり、その教えをかみ砕いてくれる。
老師曰く「セミの声が聞こえています。子供というものはこのセミを捕まえ、トンボやチョウを捕まえ、虫籠に入れてお母さんを喜ばせようと、得意気に見せます。お母さんが喜ぶのは捕まえたセミやトンボではありません。我が子のそうした行為を喜ぶのです」
「人間はお金がほしい、地位がほしい、名誉がほしい、とさまざまに欲しがります。しかし、子供が捕まえたセミやトンボに値打ちがあるわけではありません。『何が』それを求めているのか、そこに気がつかなければなりません。そこに気がつけば、お金が得られても得られなくても、地位や名誉が得られても得られなくても大した問題ではないことに気付くはずです。伝心法要にはそういうことが書かれているのです」
「今日座禅に来ている皆さんの中には、何度か通って悟りを開いて帰りたいとか、老師の話す事がよくわからないとか思っている人がいると思います。そんなことを気にする必要はありません。腰骨を立て、背筋を伸ばし、へその下で静かに呼吸をして座っている。分かっても分からなくても良い。ただ座っている。それが良いのです。ただそれだけで良いのです」
う~む。
3回目だから少し慣れてきた。ただ、1時間を超えると肩が凝ってくる。今朝は左足がしびれた。姿勢が不自然にちがいない。情けない。
おととい散歩道で出会った野のユリの名前がひょんなことから分かった。台湾原産の「タカサゴユリ」。円覚寺のホームページで座禅の時間を確かめようとしたところ、写真が掲載されていた。台湾を指す琉球語の「サカサング」に由来するという。そういえば「高砂族」という言葉を聞いたことがありますな。
午前8時の開門前の円覚寺山門前。長ーい列には若い男女も結構いる。我々の年代のほうが少ないくらい
野のユリの名前は「タカサゴユリ」でした。
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