年末から意識が無くなったお母様は、
年が明け6日 施設から病院へ搬送され、体の浮腫みも酷く、
今は、病院からの連絡を待っている。
ただ、それも辛く、
心身共に疲れて、、
誰に聞いてもらえる問題でもなく、私に連絡があった という内容でした。
お父様も、私の父の介護時期と重なり、死期も同じ頃だった。
やはり、今か今か?と待つ時間は苦しく、何も手がつかず、
かと言って 予定されていた事があると、
それは こなしたいし、
でも叶わないかもしれない、
と、悶々とした時間でもありました。
私から友へ
「お母さんは、貴方の予定を最優先にしてと、それが済むまで待っているよ、と心得てくれているはずよ。」と返信しました。
「その1時間後 (亡くなった と)病院から連絡が入りました」と、友から。
私と同じく一人っ子の友、
お父様を送り、
お母様と同居が始まったのも同じ時期、
私の母と同じく認知症で
手に負えない状況になり、
施設へ。も 同じく。
丁度コロナの時期と重なり、
面会が出来ないのは幸い 、
「もうお母さんの顔を見なくて済む」 と彼女は言った。
確かに私も 施設へ入れた母の顔を見にいくのは 面会の度に怖かった。
結局彼女は、施設から病院へ搬送されるひと月前、会計に入った施設の窓口前で 3年ぶりにお母様と対面。
あの一人娘を独占していた母の姿はなかった と友は語った。
友(旦那様も息子さん2人も医師)のお父様も、名古屋大学病院へ献体された。
そして、お母様も同じく献体される。
昨夜の連絡では、
「名古屋大学病院からの(搬送時間の)連絡待ちです」
が 最後に
今は心静かに、お母様と向き合っている頃でしょう。