SANGO! キジトラ猫と魚と私

4キジトラ珊瑚・醍醐・苺・林檎の楽しい毎日や猫グッズのお話です
時々旅行・ダイビングについても書いてま~す

パラオ旅行に行ってきました(歴史編)

2016-01-26 12:00:00 | ダイビング(海外)
皆さんの「パラオってどこ?」というご質問にお答えします
(↓は2012年に作成した記事のコピーです)

絵画は、パラオ国際空港到着ロビーに 飾ってあったものです

日本から南へ約3000キロの パラオ共和国
南北約640キロの間に 大小586の島々があります
人が住んでいるのは9つの島のみで、あとは無人島です
空港がある バベルダオブ島
私達が泊まったのは コロール島
ダイビングは マラカル島から出航します

海洋性熱帯気候で、高温多湿
年間平均気温は27.7度
総人口は 約2万人
約7割の人が、コロール島に住んでいます
以前は首都でしたが、今はバベルダオブ島のマルキョク州が首都です
でも、警察署や消防署、郵便局、公民館や、航空会社の事務所、銀行などが、
コロールのダウンタウンに集中しています

1783年、イギリス船が難破し、乗組員とコロールの人との交流が始まります
スペインやドイツの統治時代を経て、1930年代から 日本による統治が行われます
日本軍の要所ともなりました
当時 25000人もの日本人が住んでいました

通貨は米ドル
日本との時差はありません
島民の国語はパラオ語ですが、公用語は英語
日本統治時代の名残で 日本語も通じることがあります
たとえば…
ベントー
ダイトウリョー
センキョ
チチバンド(?!)
そして、日本統治時代に 日本人にあやかって日本名をつけることがあったようです
女性では、アケミ、ハルコ、フミコ
男性では、ジロウ、タツオ、ヒロシ、など

第2次大戦後は、アメリカを施政権者とする国連信託統治地域となりました
アメリカは、ここミクロネシア地域を戦略的要衝と位置づけ、教育や医療には力を入れたものの、
経済開発や産業振興はほとんど行われませんでした

1978年の住民投票で、パラオはミクロネシア地域の統一国家から離脱することを決め、
1981年1月に パラオ憲法を施行して 自治政府を発足させました
そして、1994年10月1日に アメリカとの自由連合国として独立しました

こんなきれいな海を 軍事的拠点にするのは反対です
もちろん 沖縄の海にも 同じことが言えると思うのです
軍事など要らない 平和な世界が来ることを 願うばかりです

パラオの国旗は、珊瑚礁の海を表す青い地に
満月を表す黄色い丸です(見えづらくてすみません)

平和と静寂、海の豊かさを表しているそうです

昨年、天皇陛下と皇后さまがパラオをご訪問なされたことは、
皆さんも覚えていらっしゃると思います
第二次世界大戦では ここパラオも激戦地となり、
島のひとつであるペリリュー島での戦死者は日本軍約1万人、米軍は約1700人と言われています
もちろんパラオの人々も巻き込まれ、犠牲者が出てしまいました

すべての犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます

愚かな戦争など もう起こりませんように

大事な家族と愛おしい全ての生物を守りたいです


パソコンの調子がイマイチで、今日はここまでになってしまいました
明日はマンタ特集です

予告編の動画をどうぞ


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コメント (13)
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