OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

お彼岸

2011年09月21日 | 書道・筆文字
彼岸ということで、昨年だったか、お墓の石銘を書いたことを思い出し、依頼者が出来上がった写真を送ってくれたものをここに一葉。

もともと江戸か明治期に、地元の儒者が書いたような篆書と隷書の入り混じったような写真を見せられ、そんな書体で書いてくれという注文。
それを洗練させていく作業だったが、亡き父のため亡き夫のため、と息子さんだけでなくお母さんまでわざわざ足を運んでくれて打ち合わせたのが印象に残る。

思い、が深かったのである。
こちらもその思いに応えなくては、という思いだった。
いい家庭であって、今もそうあり続けているのだろう。

彼岸があれば此岸あり
無限があれば有限あり。

昨日は仲間の和紙造形の3人展を観た後、お稽古。
墨を磨りながら「子どもは無限だが、われわれは有限…」という話になって、
なんでもできると思った時は過ぎ去り、限定されたなかで生きていることをしみじみ感じた。
一番早い方は「二十歳頃感じたかな…」と。

「その有限のなかで、無限の子どもたちにないものは、生きてきた日々そのものである」と励まし合った。

和紙三人展のお一人は、前にも話題に出したアルゼンチン展の中心的役割を果たした方だが、この方は淡々と物をこなして、無限的展開をはかっている。
歳のせいだけでもないようだ。


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