切羽へ (新潮文庫) | |
井上 荒野 | |
新潮社 |
一方、井上荒野さんは、書く言葉の奥にある感覚を読み取らせよう、文章の真の外側を感じさせようとしているみたいです。
ですから、想像力が喚起されてくる。
そして、時間へのいとおしみ、時間の経過、常ならず、過ぎていく時間を とても惜しんでいる。
「過ぎていくときが目に見えないのは幸いだ でも だからといってときが過ぎないわけではない」208ページ。
「人間なら生まれたての赤ん坊だって しずかさんと同じ線上にいるのだ。みんな少しずつ流れていく どこかへ向って」136ページ。
この夫を無くした90歳のおばあちゃん。主人公セイがお見舞いに行くと。離島の養護教員のセイに向って「先生 亭主は留守ね。」「どうしてわかると?」「どうしてってそりゃー。」 「ちゃーんとわかるたい、だかれとらんのが。」33ページ。
画家の夫とともに離島に養護教員として赴任したセイ。月江という粗放に生きる女教師。そこに新任の石田という男の匂いぷんぷんさせた教師が赴任してくる。
そこで、月江さんの彼氏、本土さんとの修羅場も起こるのだが、、、、、。
セイには何も起こらない。ただ想いの揺れが表現されているだけ。
しかし、「空気は湿っていて暖かい。潮の香もずいぶん春めいて来たと思う。春の海はなまめかしい匂いがする」33ページ。
月江が石田と「寝たわ」と、本土さんに言ったことからの急展開。
しずかさんが亡くなって、遺品整理のときに、セイは石田と逢う。
トンネルを掘っていって、その掘っている先端、炭坑の坑道の先端もたしか「切羽」と言ったっけ。
トンネルが通じちゃうと切羽は、無くなってしまう。
行き止まりだけど、進むしかない。
石田は島を離れるのだが、セイに何も起こらない。
セイの想いの淫美さが際立つ。
石田さん、井上さん、どちらも素晴らしい。