
会社も雷のせいか一時、停電になった。
朝方はこんな感じの穏やかな富士の姿があったのに。

富士山検定
模擬問題(歴史編)
第3問 源頼朝が富士山南麓で行ったのは?
①登山 ②歌舞伎 ③合戦 ④巻狩り
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正解 ④の巻狩り
鎌倉時代
鎌倉時代につくられた「新古今和歌集」や「山家集」には、富士山から
噴煙が上がる様子を表した歌が残されている。 しかし、平安時代に
見られたような大きな噴火の記録はないことから、富士山の噴火活動が
静かであったということがうかがえる。
こな時代に富士山の南麓で盛んに行われた催しが「巻狩り」である。
1193(建久4)年、征夷大将軍・源頼朝(ミナモトノヨリトモ)は、優秀な
武士1500騎を集めて1ヵ月にわたる大がかりな巻狩りを開催した。
追いつめ役の勢子(セコ)が動物を追いたて、飛び出してきたところを
武士が馬上から弓矢で射止める。この巻狩りは、ただの狩猟ではなく、
当時の軍事演習の意味があった。
富士の巻狩りを裏づけるものとして、現在も富士山本宮浅間神社などで
行われている流鏑馬(ヤブサメ)祭りがある。 この起源は、この年の
巻狩りの際に頼朝が同大社に流鏑馬を奉納したことにあるとされる。
また、国の特別天然記念物にも指定されている「狩宿の下馬(ゲバ)ザ
クラ」は、頼朝がこの桜に馬をつないだとされる、頼朝ゆかりの場所で
ある。巻狩りに関わる記録としては、日本三大仇討ちのひとつとされる
「曾我仇討ち」も有名である。
この物語の主人公、曾我兄弟のゆかりの地として現存する場所には、
討ち入りの相談をした「音止めの滝」、その東側で仇討ちの際に隠れて
いたとされる「曽我の隠れ岩」、頼朝が命じてたてられた「曾我八幡宮」
などがある。
富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著から
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