3回目の妊娠は2度目の流産後半年後と意外に時は早く来てくれました。
ちょうど2年前の今頃の事でまずは流産の手術でお世話になったクリニックに
行きました。
この時も胎嚢は確認出来ましたがまだ6週ちょうどくらいで心拍までは
確認することが出来ませんでした
過去2回の妊娠では全て心拍の確認まで行く事が出来なかったので
かなり心配ではありましたがまだ週数が早かったので先生からは
『次はゴールデンウィーク明けに来て下さい』 と言われただけで特に薬の
処方もなくそれまでの約10日の間は普通に生活していました。
しかしゴールデンウィークの後半からまた微量の出血が始まってきました。
ゴールデンウィーク明けの5月7日にクリニックで診てもらうと3度目の妊娠で
初めて心拍を確認する事が出来ました。
当時不育症の知識がまったく無かった私は
「心拍が見えれば大丈夫
」 と
思い微量の出血があって多少の心配はあったものの安心してました。
ただ既に39歳だった私は高齢の初産でハイリスク妊婦に該当する為
『こちらのクリニックでは出産させる事が出来ないので
病院へ紹介状を書きます』
と言われ結局一度目の妊娠の時に行った自宅近くの総合病院に翌日行くことに・・・
二年前の時点で私の住んでいる市はかなり産婦人科不足が深刻になっていました。
クリニックで紹介状を書いてもらう時に
『病院には空きがあるか確認されてから
行かれた方がいいですよ』
とも言われクリニック帰りに状況を聞く為に病院に寄ってみることにしました。
まだ7週目だったのですがギリギリ大丈夫で安心して自宅に帰りました。
そして忘れもしない翌日5月8日の朝、旦那さんが職場に行く前の事でした。
私は出血している感覚があったのでトイレに行くと生理の2日目の時ぐらいの
血のかたまりが出たのです。
怖くって便器を確認する事は出来ませんでしたが感覚的に
「赤ちゃんがお腹から出ちゃった」 ってわかり
トイレから出て号泣しました
旦那さんは
『まだ決まったわけじゃないし大丈夫だよ』
と励ましてくれましたが、朝イチで病院に行き内診してもらった先生の第一声が
『本当に妊娠していたんですか?』
私がウソついてるとでも・・・もう
絶句でした・・・
前日のエコー写真を持参していたのでそれを見せて妊娠していた事は
認めてくれましたがそんな事はどうでもいい事です。
さっきまでお腹にいた赤ちゃんは先生に偽妊娠の疑いをかけられるほど
妊娠していたという証拠が残らないくらいにキレイに流れてしまっていたのです。
それから丸2日間は抜け殻のようになり自分でもよく覚えていません。
その後クリニックで行っていた
子宮頸がん検査でひっかかりそっちに気がいき
数日間は検査などでバタバタして赤ちゃんの事を思い出す余裕のない日々が・・・
結局、子宮頚ガンは異形成という前ガン状態で3ヶ月ごとに様子を見る事に
なりました。
私の赤ちゃんは命を懸けて私を助けてくれたんだと思います。
この時から私はインターネットで子宮頸ガンや不育症の事をいろいろと
調べるようになり名古屋の先生の事もある方のブログで知ることになりました。
不育症で有名な先生は私の住んでいる神奈川県にもいらっしゃったので
その先生の当時いらっしゃった東海大学伊勢原病院と名古屋を迷ったのですが
メンタル面を重視するという名古屋の先生の方針が私には向いていると思い5月中旬に
思い切って名古屋の病院に予約の電話を入れました。
するとなんと予約が取れた日が翌年の
6月4日 1年待ちです
でも自分が納得した先生に診ていただきたかったので名古屋受診の時を待ちながら
地元の大学病院で出来る検査はこっちでしておく事に決めました。
こちらの大学病院では3ヶ月ほど検査をしました。
染色体検査以外はほとんどしたのですが出た検査結果は
潜在性高プロラクチン血症
のみで処方された薬も1日にテルロンを半錠飲むだけ・・・
この頃には不育症のいろんな方のブログを読んでいてある程度不育症に対する
知識が入っていたのでこの結果にはますます不安が高まりました。
その年の秋から妊娠解禁の許可がおりたのですが不安があった為かなかなか
妊娠しません。
そんなこんなしているうちに年明けの1月に名古屋の先生ご本人から留守電が
入っていました
慌てて折り返し電話してみると、平成20年の5月に開業されるとの事で
若干だけど半月くらい予約を早める事ができるとのお話しでした。
私はお忙しい先生が直に患者の私に電話をくれた事に大変驚いたのと同時に
先生の優しい声や上からものを言わないしゃべり方に今まで出合った事のない
タイプの先生で
ぜひこの先生に診ていただきたいという気持ちがより高まりました。
そして5月まで一応タイミングは取りつつも名古屋行きを待つ事に決めたのです。
結局その後なかなか妊娠出来ずにいて一度初めてAIHを試みるも撃沈の上
翌周期は無排卵になり妊娠を諦めかけていた今年の1月、1年8ヶ月振りの自然妊娠。
名古屋に通院しながら初めて8週の壁を突破する事が出来たのですが
残念ながら染色体異常という治療ではどうする事もできない理由で4度目の
流産となったわけです。
3回に分けて今までの経緯と簡単な自己紹介をさせていただきました。
こんな私ですが今回の流産では胞状奇胎と診断され早くても今年の9月頃まで
次の妊娠を解禁することは出来ません。
今後の予定ですが解禁後半年くらいはまたがんばってみようと思っています。
クリニックは金銭面から名古屋通院はもう無理なので来月東海大学の先生が
私の住んでいる市内に開業されるのでそちらに転院する予定です。
これからはそちらの情報を含めてブログを書いていくつもりなので
興味のある方は今後とも宜しくお願いします
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