【日本の明日(43)】
カテゴリー名【日本の明日】は【市民の眼】に変えました。
なお、環境に前向きに取組む意識の人を「市民」と位置づけます。
もちろん、私は環境に前向きに取組んでいきたいと思っています。
環境に関心を持っている人には色々のタイプがあると思います。
1)自分の立ち位置を護り・強化する目的で関わってくる人たち、
2)弱い立場の人たちを護り・社会正義を行なおうとする人たち、
3)過去のご自分の経験を基にしてアドバイスを考える人たち、
4)被害者意識から現状が変われば良いと考える人たちもいる、
これらの分類は現実にはもっともっと細分化されるでしょうけど。
全ての人は誰でも自分の知ってる範囲内で関心を持つといえる。
ところが知らないことも知っていなければならないと思いがちで、
他人が知らないことに気づいて、罵りたくなる人が多いのでしょう。
知らないことで責め立てられて、いつしか罵り合いになっている。
罵り合いになって、それで良い結果に結びつくことは少ないから、
罵り合いにならぬよう、核心を外れぬよう、心しなければならない。
しかも詭弁をつかう者は話題を外す狡知に長けていると言えます。
話題を外すことで問題をすり替え・白を黒と言いくるめるのである。
バラエティー番組で騒ぐ自称、政治家・政治通にこの類いが多い。
話題を広げても核心を見失わなければ詭弁に引掛ることはない。
そもそも市民にとっての核心を知らなければどうにもならないが、
結局、市民の立ち位置、市民が護るべき対象、市民の最終目標、
それさえしっかり把握しておけば視点がぶれることは有り得ない。
市民の視点がぶれなければ、論点・核心を突いていけるのです。
確実に分ること・・・民主主義によってのみ市民・人権は護られる。