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daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

反省の有りかた(1)

2011年08月06日 | 社会問題を考える

心根が卑しい人の行為を観るに、人をあなどり見下したいようです。
この卑しい人格・思想に、心はどのように染まり、身につくのだろう。
こう考えた時、私の脳裏に浮ぶのはジーキル博士とハイド氏である。
人品優れた温厚な紳士・ジーキル博士は著名な慈善活動家である。
清廉潔白・真面目な博士は世間の尊敬と名誉を一身に浴びて暮す。
ハイド氏は強欲・野卑、乱暴で道徳の欠片も備えない人物である。
気に入らなければ情け容赦なく人をいたぶる恐いハイド氏なのです。

ジーキル博士とハイド氏、なんと、同一人物で、二重人格者です。
ジーキル博士のように人々の尊敬を集めて暮す人はいらっしゃる。
人々はジーキル博士の外面をみて中身を見ようとしませんでした。
世間的地位・肩書きが立派で有能な町の名士に人々はひれ伏す。
ハイド氏のように人々を恐怖の底に突き落とす人は今も存在する。
人々はハイド氏を見た瞬間、容貌を嫌い内面も含めて全てを嫌う。
釈放されたジャンバルジャンを、人々が嫌ったのと同じようにです。

一人の人物のなかに秘められた心には誰も気づき難いものです。
二重人格者も善人の仮面を表に出して暮すのが一般的でしょう。
その根拠は、人は誰でも、他者に受入れられたいと思うからです。
受入れられようとして、作り笑顔したり、ベンチャラ言ったりします。
あるいは社会的な優位に立つ肩書きや金を手に入れようとする。
そうすることで居心地の好い場所を得られて、目的も達成できる。
下心を持って近づいてくる者は世間には多いに違いありません。

それならジーキル博士が近づいてきた場合、どう身を護りますか。
ジャンバルジャンが近づいてきた時には、どう対応したら良いのか。
現代日本のジーキル博士も社会的はステータスは高いでしょう
現代日本のジャンバルジャンは家を追われ路上生活してるかも。
東日本大震災でも現場の声は政府に届いていないと言われます。
私たちが正しく判断し、正しく行動するには正しい情報が必要です。
ともあれ、実情を知らなければ手の打ちようが分からないでしょう。

原因がどこにあるか知ったら、どうなるのが一番良いかと考えます。
反省は「ゴメンナサイ」と言うことではない、頭を下げることでもない。
つまり、真の反省には良い結果に結びつくための努力が必要です。
ジーキル博士が謝ったからといって、解決する訳ではありません。
ジャンバルジャンに政府が謝ったから解決するものでもありません。
ハイド氏を生み出さない社会にしなければ意味はないのです。
ジャンバルジャンを生み出さない社会にしなければ意味はない。

今の日本は謝罪までが駆け引きとして使われているのを感じます。
今は謝るタイミングでないとか、先に謝ったら都合が悪くなるとか、
どう謝ったら甘い具合に責任逃れを出来るか…心が見えない。
東電の放射能漏れでも謝りかたは変でした、異常でしたね。
JR関西の追突大量死事故でも素直に謝った気がしませんでした。
裁判を控えてる時には、謝るのは都合が悪いと考えるのでしょう。
裁判の結果が出て、負けたから謝るのは、考えかたが狂ってる。

どうしてこのような狂った日本になってしまったのでしょうか?
反省してますって言葉をほしいのでなく、結果が大事なのです。
どのような社会を築いていくのか、その道筋が重要なのです。
これは、民主党で果たして大丈夫でしょうか。
それとも、自民党に戻して大丈夫なのでしょうか。
民主・自民、どちらも安心社会の青写真を作る能力が欠けている。
私たちの暮しが政治に懸かっているのだから真剣にやってほしい。

政治家は青写真を示す能力と実行力が問われなければならない。
私たち市民には、政府の賢い選択が問われているに違いない。
おんなじ失敗をくり返すようでは、バカに違いありません。
そんなことを思います。


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