【日本の明日(42)】
■政治家を観察するに、
政治家には「オレが正義だ」と言う手合いは多いが実行が欠ける。
その原因はどこにあるのか、私たち市民は知らなければならない。
政治・政党は誰の利益を守るべきか考えたことはお有りだろうか。
守ろうとする対象を知ることで、政治・政党のレベルを判断できる。
あるいは見捨てた対象を知ることで、政治・政党の思想が分かる。
これは政治・政党に限らず、政治家であっても同じことである。
あるいは一般人を観るばあいでも、この方程式は成立つのである。
レベル・思想が分れば私たち市民が執るべき姿勢も自ずと定まる。
彼らは信頼するに足る対象か、警戒すべき対象かが明かになる。
結局、私たち市民は本質を正確に知る眼を養わなくてはならない。
そもそもどんな相手であろうと、二種の何れかに分類できる。
すなわち、民衆を見捨てる立ち位置と民衆を見捨てない立ち位置。
こう考えたとき、私には一人の指導者の姿が眼に浮かぶのである。
それは文化大革命を事実上終結させた大功労者・華国鋒である。
彼は毛沢東の後継者として党主席に就き、小平に引継いでいる。
華国鋒がいなければ今の中国はなく、発展は大きく遅れただろう。
今の中国が良いか、そうでない方が良いか、意見の別れる所だが、
彼は共産形態が良いか、自由経済形態が良いかの独断を避けた。
平和裏に今の政治形態に移行したのは華国鋒の功績と言えよう。
華国鋒は権力に執着せぬ人格者であり、理想に殉じたと思われる。
政治家たるもの理想に殉じる覚悟なきは信ずるに足りぬ…と思う。
己より優れた人物を認め、己は適材に非ずと知れば身を引く勇気、
それは近代中国においては華国鋒が第一と言えるかも知れない。
故に、毛沢東が華国鋒を信頼して後継者に指名した逸話も頷ける。
そしてその信頼に小平は応えようとしたに違いない…と思いたい。
ともあれ近代中国の建設には多くの歴史的傑物が関わっているが、
華国鋒の行きかたを否定するときは民主主義社会に行きつけない。
私のこの観察が正しければ、中国は確実に世界のリーダーになる。