今回のクエスチョンは《海難事件の談判の場でイギリス外交官アーネスト・サトウに怒鳴りつけられ、悪魔のような恐ろしい顔つきで黙り込んでしまった日本史上の有名人は一体誰でしょう?》という問題でした。
今回のクイズの回答は・・・『坂本龍馬』でした。
もっともこの事件「実際に土佐藩の人間が犯人ではなかった」ので、龍馬の態度もある意味当然だったことだけは付記しておきます。
サトウの龍馬に関する記録は全て「才谷梅太郎」で統一されており、最後まで偽名だと認識していなかったようです。
ちなみにサトウは全く龍馬を評価していません。土佐藩の人間だと後藤象二郎の記述が圧倒的に多く、龍馬はあくまで「後藤の使い走り的存在」としてしか認識していなかった模様。実際龍馬の死に関してもあっさりと二行で描かれているだけです。
そして更に日本の歴史上問題となるのは、世に有名な龍馬の「船中八策」。実はアレはサトウが英字新聞に投稿し後に「英国策論」という本して纏まった論説文と方向性が明らかに一致しており、実はアレは龍馬のオリジナルのアイディアではなく、実際の出所は……という疑惑が昔からあるのです。
最近だと「竜馬の発案ではなく元は〇〇藩の〇〇の構想だ」という〇の中のあてはめだけ違う論説を各所で見ますが、それらも元をただすと・・・という話になりますが、この辺の微妙なところは歴史学者の判断に委ねるとしましょう。
ちなみにサトウの記録を読んでいると、龍馬より遙かに有能で愉快な人物として、薩摩藩士の「中井弘(号は桜州)」という人物が頻繁に登場します。
大政奉還以降は特にその頻度は高まり、実質薩摩藩とイギリス公使館との実務的意見の摺り合わせを担当していたと思われます。
それほどの男でありながら、維新後の最終的な地位は京都府知事。
ということで今日殆ど忘れられてしまっていますが、まさに「奇人」と呼ぶに相応しい、この愉快で痛快な男の話は次回の出題で。
今回のクイズの回答は・・・『坂本龍馬』でした。
もっともこの事件「実際に土佐藩の人間が犯人ではなかった」ので、龍馬の態度もある意味当然だったことだけは付記しておきます。
サトウの龍馬に関する記録は全て「才谷梅太郎」で統一されており、最後まで偽名だと認識していなかったようです。
ちなみにサトウは全く龍馬を評価していません。土佐藩の人間だと後藤象二郎の記述が圧倒的に多く、龍馬はあくまで「後藤の使い走り的存在」としてしか認識していなかった模様。実際龍馬の死に関してもあっさりと二行で描かれているだけです。
そして更に日本の歴史上問題となるのは、世に有名な龍馬の「船中八策」。実はアレはサトウが英字新聞に投稿し後に「英国策論」という本して纏まった論説文と方向性が明らかに一致しており、実はアレは龍馬のオリジナルのアイディアではなく、実際の出所は……という疑惑が昔からあるのです。
最近だと「竜馬の発案ではなく元は〇〇藩の〇〇の構想だ」という〇の中のあてはめだけ違う論説を各所で見ますが、それらも元をただすと・・・という話になりますが、この辺の微妙なところは歴史学者の判断に委ねるとしましょう。
ちなみにサトウの記録を読んでいると、龍馬より遙かに有能で愉快な人物として、薩摩藩士の「中井弘(号は桜州)」という人物が頻繁に登場します。
大政奉還以降は特にその頻度は高まり、実質薩摩藩とイギリス公使館との実務的意見の摺り合わせを担当していたと思われます。
それほどの男でありながら、維新後の最終的な地位は京都府知事。
ということで今日殆ど忘れられてしまっていますが、まさに「奇人」と呼ぶに相応しい、この愉快で痛快な男の話は次回の出題で。